MUM & GYPSY 10th anniversary year

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僕達を隔てているのは本当に言葉だけなのだろうか。 初めてイタリア人と和気藹々となれたのが湖畔の街であるメイナで互いの国の「汚い言葉」を教えあった時だった。 だけれどそれらは決して使われる為のものではなく、異国の人間同士の関係の入口として、そして会話の糸口として必要なものだったように思う。 イタリアの皆と一緒に作品をつくる様になって三年目、過ごしてきた時間が長くなるにつれてコミュニケーションもそれなりにとれる様になったきたのだけれど、過日、居酒屋で皆とお酒を飲んでいた時に、イタリアにおいてボディランゲージがいかに大切かという話を彼らはしてくれた。 教えてくれたその身体言語は、思わず笑ってしまう様なものや、その表情は日本人の顔の薄さじゃとてもできないよなといったものまで多種多様で、彼らがいうには言葉がなくともボディランゲージがあればイタリアでは生きていけるということらしい。三年という時間があったからできた話だと思った。 新しい言語をつくりだす様なイメージで日々リハーサルをしたり皆と過ごしているけれど、僕達を隔てているのは本当に言葉だけなのだろうか。 未来が拓けていくようにあともう少し。劇場でお待ちしています。

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みんなと出逢って3年がたったのだけど、今でも時々一緒にいる事が不思議でたまらなくなる時があります。なんだか夢みたいな、現実じゃないみたいな。でも3年前よりも、去年よりも、先月よりも昨日よりも、確実に一緒に過ごせていて、一緒に作品を創っている事を感じます。

ついに公演。稽古が始まる前藤田くんは緊張していました。新しいモノを創りたいと思っているからだと思う。私もイタリア人と日本人が一緒にやる意味みたいなモノを求めて見つけようとしていたんだけど、でも何よりもジャコモが、アンドレアが、サラが、カミッラがいるって事、それだけで藤田くんから出てくる言葉や風景は全然違ったし、同じでした。私から見たら藤田くんがいつも通り作品を創り出しているって事が3年間って時間の賜物なんだろなと思う。いつもと違うのはコーヒータイムがあるって事だけかもしれない。何を話してるのか分からなくても、みんなが藤田くんの言葉や世界観をすごく大切にしてくれているのが分かります。そんなみんなを見ている時間がとても好きです。英語でもない私の言葉をなぜだか分かってくれるのもみんなだけだと思う。4人がいないと絶対に現れなかった作品だと思います。

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イタリアーノのみんなと過ごしていると、不意に懐かしい感覚に陥ることがある。 それはいつだか、言葉をすこししか知らなかった頃のこと。遊び疲れて、母の膝にもたれながら、ぼんやり聴いていた大人たちの声。話の内容はよくわからないけれど、知っている言葉が飛び出す度に耳を閃めかせていた。 なんとなく込み入った話をしている大人たち、とても楽しそう。ふだん私と話すときよりも、すこしだけ低くて速い声。 いつまででも聴き続けていたかったけれど、大抵は心地よさと寂しさの中でうたた寝をした。 短く深い眠りの中、声はそのまま聴こえてくる。夢の中で、私は、大人たちが何を話しているのか、その全てを理解する事ができる。私自身もとても雄弁に、なにか込み入ったことを話せる。その上、これから何が起きるのか、自分が何をすればいいのかもわかっている。夢のような夢。