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interview ♯1 林信作さん


藤田 ここまでの自分の人生を振り返ってみて、やっぱり僕にとっては18歳というのがひとつのポイントになっていると改めて思うんですが、林さんにとって、ターニングポイントというか、なんかそういうのはどこにあたりますか。

林 ターニングポイントって聞いて、僕にはなかったなと思ったんです。むしろ、毎日がターニングポイントっていうような気持ちでやってるんですが、あえてターニングポイントって考えたら、名古屋に生まれて18歳で京都の大学に来て、それがやっぱり、ターニングポイントになってるなあ、と。

藤田 そうなんですね。

林 無理やり昨日考えてたんですけど、やっぱりこっちに来て、誰も知ってる人がいない、何していいのかわからないときに始めたのは、街を歩くことだったんですよ。むやみに歩く。誰も友達もいない、知り合いもいない、街も知らないから歩き回って歩き回って、夜、疲れて下宿アパートに戻る、みたいなことをしてたんですよ。

藤田 18の時に。

林 18の時。その時は、自分と喋るしかないみたいな雰囲気で歩いてるわけですよ。

藤田 ああ。誰も喋る人がいない。

林 帰ってきたら、「あれ今日、1日、誰とも喋らなかったな」と思って寝るっていう感じで。そこで、得たものはあるわけではないのに、なんかすごく満ち足りてた。その、はたから見たら孤独かもしれないけど「ああ、自分の場所があるんだな」みたいな、そんな気持ちになって、すごく充実していたというか。その時に、僕としてはターニングポイントじゃないけれど、何かが変わったという感じがしました。

藤田 名古屋から、京都に。上京、って言うんですか?

林 上洛って言います。

藤田 上洛。まず京都のどこにアパートがあったんですか。

林 上賀茂です。

藤田 そうなんですね。じゃあ、ここからも近い。大学はどこなんですか。

林 同志社大学。

藤田 なるほど。

林 川とか橋とか渡ったりして。僕にとって、やっぱり川も大きかったなと思っています。川しか友達がいないって感じで、歩いてて。その時間が、自分を作ったというか。


藤田 上洛して、数か月。

林 いまだに、京都の人と仲良くなれないし。

藤田 そうなんですね。京都の人。

林 馴染まないんだけど。それがよかったかな。

藤田 まず、名古屋の時代も訊きたいんですけど。どこに生まれたんですか。

林 中村という、名古屋駅のすぐ近くです。昔、遊郭があったり、そういう僕には合わない--

藤田 けっこう、夜の街?

林 そんな街ですね。結構派手。

藤田 そこでずっと18年。同じ家で。

林 そうですね、18年。

藤田 どういう幼少期だったんですか。

林 いやあ、一見素直そうだけど、内心「大人ってばかだな」と思っていました。

藤田 大人。ご両親が?

林 そうそう。あと、まだ戦争が終わって間もない頃だったので、みんなアメリカをけっこう崇拝しているんですよ。それがなんか、悔しくて。ばかだなって。

藤田 子どもながら、悔しかったんだ。

林 負けたのに、アメリカに憧れてかっこいいみたいに、手のひら返して。そんなやつらは信用できないと思ってましたね。だから、僕はアメリカに憧れたことは一度もないです。

藤田 そういうのを抱えながら、名古屋で過ごして。中学校、高校とどういう10代に?

林 やっぱり、音楽に影響を受けていました。ビートルズが解散した時期で。(藤田さんの)お父さんの音楽体験と、エルトン・ジョンとか、T・レックスとか、デヴィッド・ボウイとか、絶対一緒なはずです。

藤田 そうですね。

林 でも、アメリカの音楽は聴かない。まあ、正確に言ったら、アメリカ音楽を避けて通ることはいまできない。ビートルズだってローリング・ストーンズだって。でも、やっぱりブリティッシュな感じに憧れていました。

藤田 音楽に、興味があった?

林 そうですね。かっこいいなあと思って。ギターをやったりしていました。

藤田 へえ。

林 レッド・ツェッペリンのライブもみたことあるんです、自慢してますけど、たまに。


藤田 それで名古屋から上洛するんですね。

林 はい、宗教みたいなものに興味があったんです。人間を超えるものというか。だから、京都はお寺が多いのでいいかなと思って。

藤田 ああ、そういう惹かれ方を。

林 そういう、精神世界みたいな世界にちょっと惹かれてました。だからその頃はビートルズのジョージ・ハリスンとかインド体験とか、ああいうものに憧れていて。

藤田 『マジカル・ミステリー・ツアー』あたりの。

林 そうそう。それで、「日本で聖地といえば京都だな」という単純な考えで。まだその頃は京都のいわゆる京都学派っていう哲学の人たちがいるとか、そういうことも知らず。大学は哲学科なんです。未だにそれが足引っ張ってる。


藤田 ご両親は名古屋を離れることに、何も言わずに。

林 そうですね、兄が東京に行ってたんで。それで、まあ大学に失望しますよね。

藤田 誰しもが、しますよね。

林 失望して、どうしようかっていうことで、歩いてたって感じです。さまよっていた。

藤田 大学時代、ずっと?

林 ずっと歩いてました。

藤田 鴨川は僕もすごい好きですけど、なんかありますよね。受け取るものというか、特に夜とかは。受け取るものが多いな、って。なんなんでしょうかね、川って。

林 京都来た時は、やっぱり、水が流れてるから、そういうものにすごく惹かれましたね。

藤田 でもこの辺って鹿とかもいますよね、けっこう。

林 いますいます。

藤田 もっと深い森から、下りてくるってこと?

林 でもあんまり、自然には興味なかったんですよね。

藤田 そうなんだ。自然には興味ないけど、川が。

林 好き、みたいな。


藤田 じゃあもう大学時代ずっと、そんな友だちもいなかった?

林 そうですね、まあ、同じクラスの友だちはできるけど、あまり。

藤田 うちの両親も66、67で。やっぱりその頃の大学生たちってなんとなく微妙に学生運動からも外れてて、微妙な季節だった気がするんですよね。

林 僕らの頃はもう(学生運動が)終わった季節でした。

藤田 どういう大学時代になるんですか、京都でその頃、大学生って。

林 無気力でした。

藤田 ちょっと上の世代よりも全然、そんな、

林 無気力、無関心。

藤田 ああ。でもやっぱ大学でも音楽は聴き続けるんですか。

林 そうですね、街歩くと、行くとこっていったら、本屋とレコード屋しかない。

藤田 ああ、京都はそういうところがすごい良さそうだな。

林 喫茶店と。その3つしか行くとこがなくて。街を歩くといってもずっと歩いているわけじゃないから、レコード屋さんに寄ったり、本屋さんに寄ったり、喫茶店に入ったり。

藤田 どこへ行ってたんですか、本屋は。

林 本屋は、丸善です。

藤田 梶井基次郎の。

林 そうです。梶井基次郎、すごく影響を受けて、おんなじことをやっていました。

藤田 おんなじことやってた? それ、めちゃめちゃやばい大学生じゃないですか。

林 『檸檬』の主人公は、自分だと思いましたもん。

藤田 あれは大学時代なら、憧れますよね。

林 ああ、俺がいる、みたいな。

藤田 めっちゃやばいやつだ。

林 だからいまだに、梶井基次郎はすごいと思っています。


藤田 レコード屋は。

林 レコード屋は、まだ、まだ、いっぱい小さいのがたくさんあって。今もある十字屋とか。

藤田 喫茶店は、どこに。

林 それこそ、どうしても、ジャズ喫茶に行っちゃってました。そんなに回数行けないし、そうすると、そういうところで4時間くらい過ごしたりとか。

藤田 なんていうジャズ喫茶?

林 ZABOっていう、喫茶店。当時、穴蔵みたいなところで。

藤田 今は、もうない?

林 ないです。そこで、またフリージャズとか聴いたりすると、音楽の幅が。

藤田 ロックじゃないものに。

林 惹かれて。

藤田 ジャズに出会うと違いそうですね。

林 そこから現代音楽にいって。18歳からハタチの間に、音楽の幅が広がって、もう全て聴いたって感じでした。

藤田 その頃、聴いていて、影響受けたっていう音楽ありますか。

林 そうですね。やっぱり、即興演奏家の、デレク・ベイリーに1番影響を受けました。その時に、間章さんっていう評論家がいたんだけど、その人と知り合ったんです。知り合って、間さんは、

藤田 京都にいた方なんですね。

林 1年後に死んでしまうんだけど。間さんがデレク・ベイリーを招聘してたから、その影響がありましたね。

藤田 映画は? その頃の京都にミニシアターみたいなのはあったんですか。

林 自主上映みたいなのはあったから。ヌーベルバーグ、ゴダールとか。(ミケランジェロ)アントニオーニとか好きで。そういうのを観ていて。映画もよく行ってました。その時に演劇を観なかったのは、よかったのかもって。



藤田 それで、大学は卒業するんですか。

林 卒業します。

藤田 全くわかってないんですけど、林さんは何者なんですか。大学を卒業して、何か仕事をするんだろうけど。

林 ちょっと、美術関係の仕事とかやって、そこを辞めて出版社に入って、それでそこも辞めて、ぶらぶらしてて、フリーライターですね。

藤田 フリーライター、なんですね。

林 もう26歳ぐらいから。それでしょぼしょぼ生きてるって感じです。

藤田 美術関係っていうのは、キュレーター?

林 古美術関係の。

藤田 古美術!?

林 だから、けっこう幅広いんですよね。現代美術じゃなくて。古美術に対しても。いまだに好きですね。だからそこから、民藝とかも好きです。

藤田 本当に幅広いですね。

林 ただ、なんとなく、やってきたって感じですね。

藤田 出版社というのは編集者?

林 いや、どっちかと言えば、書いてました。

藤田 あ、そこで、もうライターなんだ。

林 編集だとやっぱり、ある程度時間もお金も使うし、すぐお金にならないから。とにかく書いて、いくらもらえて、書いて、いくらもらえてという感じでした。それを積み重ねて不安定な日常を送ってきました。

藤田 どこで妻の恵子さんとは出会うんですか。

林 美術の出版社です。古美術の。

藤田 そうなんだ。

林 僕は暗かったから、明るかったのがいいなと思ったんです。

藤田 明るかったんだ。

林 僕は暗すぎてね。

藤田 暗すぎて。

林 僕、本当は声が大きい人嫌いなんだけど。

藤田 でも、明るくて声の大きい恵子さんと結婚したんですね。



藤田 声が大きい、というのは声量だけのことを言っているのではないと思うんですよね。ここまで話していても、林さんはずっと幼少期からいろんなことを聞いてきたんだろうなっていうのがあるんですけど、“聞く”ということについてはどうですか。

林 “聞く”ということ、そうですね。“見る”と“聞く”と、どっちがなくなったら嫌かって言ったら、“聞く”がなくなったら嫌だろうな。喋れなくてもいいし、目も見えなくてもいいけど、耳がなくなったらいちばん困りますかね。

藤田 今、この体調を含めたこの状況でもそう思いますか。

林 だからいつも聞いてる。さっきも、今日雨降ってるから、「いい時に来ましたね」って言ったのは--

藤田 さっき、僕がこの家に初めてお邪魔した瞬間に、林さんは僕にそう言いましたね。

林 この家は、雨の音が素晴らしいんです。ほんとに素晴らしい。“聞く”ってことは、すごく大事にしたい。

藤田 うん。なんかやっぱり下鴨神社・糺ノ森に来るたんびに思うんですけど、ここら一帯に足を踏み入れたとたんに、いきなり森に出会ったみたいな感覚がありますよね。(*林さんのお家は、下鴨神社・糺ノ森周辺の一角にある)ここのお家へはいつ引っ越してきたんですか。

林 けっこうはやかったですね。それがまた、よくなかったってことですかね。

藤田 よくなかった。

林 その後、転々とできなかったというか。

藤田 ああ。

林 あまりにも音が素晴らしくて。

藤田 ここに引っ越してきたのが、林さんが何歳の頃。

林 30歳前かな。

藤田 すごい。じゃあもう、出版社を辞めてフリーライターになった頃。

林 そうです。この辺は、大きいお屋敷ばかりがあってね。

藤田 いやでも、ほんとにこういうとこに住んでる人って、みんなずっと京都に住み続けている人とか、神社の関係者とか、そういう人しか住めないと思っていました。

林 そうそう。

藤田 名古屋出身の林さんが。え、ここは賃貸?

林 それが、また、買っちゃったんですよ。

藤田 えー、20何歳で。

林 今思うと、人生よかったことが足かせになる。

藤田 それ、いいですね。

林 いい人と結婚したら、それが足かせになる。

藤田 じゃあ、ここには何年住んでいることになるんだろう。

林 40年くらい。セントラルパークって、ニューヨークにありますよね。車の音がして、鳥が鳴いていて。自然の音ばかりだと、僕は落ち着かないんです。人工物ばかりでも。それがミックスしたところが理想郷みたいな。

藤田 住んでいくうちに、そういうここの“音”のことも気づいていったんですね。

林 そうですね。

藤田 若い頃から上賀茂神社あたりに住んでいたから、そもそもこの辺にも土地勘はあったってことだよね。


林 あと、ちょっと話進めて。

藤田 はい。

林 転機になったのは、やっぱり旅行したことです。

藤田 旅行。

林 なかでも、地中海の国に行って、ポルトガルのリスボンへ行ったことが大きかった。

ポルトガルやブラジルって、ノスタルジーのことサウダージって言うじゃないですか。

藤田 へえ。

林 あれにずっと惹かれていて、ポルトガルに行ったら、そのサウダージというか、哀愁と、かなしさと、喜びと、幸福感と、苦しさと、それらがいっしょくたに混ざったような感情を感じて。ここが自分の故郷(ふるさと)だと勝手に思ったということが、大きかった。そこも、テージョ川っていう川があるんですけど。

藤田 そうなんですね。行ってみたいなあ。

林 ポルトガルに行ってみて、それが転機になったから、行ってよかったです。

藤田 いくつくらいの時ですか? 地中海を旅したのがーー

林 子どもが生まれてるから、35歳くらい。

藤田 お子さんがいるんですね。

林 はい、息子も行きました。ポルトガル。幼稚園くらいの頃。

藤田 じゃあ、そうか。もう30くらいに生まれてるんですね。ここで育ったんだ。


妻の恵子さん(以降、恵子) 昔は神社が規制してなかったから、端から端までどこまで入ってってもいいし。

藤田 ここは、もっと内側だったんだ。

恵子 そう。こんなに整理されてないから、自由気まま。友だちがみんな、やっぱり来るのよね、遊びに。みんなで、ばーと外にでちゃって。だからここはちょっと離れられなかったですね、やっぱり。

林 それがまた足かせになった。

藤田 地中海に行った後はどこへ行ったんですか。

林 えっと、バリ島とかです。

藤田 東南アジアも行ったんですね。へえ。

林 僕のターニングポイントは、“故郷の旅”。だから“マームとジプシー”にぴったし。

藤田 でも確かに、そうですよね。林さんと恵子さんは、マームの公演を色んな土地まで観にきてくれましたもんね。東京もそうだけど、もちろん京都。豊橋も来てくれたり。

林 なんだか、旅先で劇場に入るのって、結構かっこいい気がして。自分の住んでいるところじゃなくて、そういう旅の時に、ふらっと入る方が思い出に残るし、影響を与えますよね。

藤田 その言葉は、嬉しいなあ。ほんとに。



林 北海道へは行ってみたい。(*藤田が北海道出身)

藤田 もちろん伊達にも、来てほしいけど。

林 ターニングポイントっていうと、結局大きなものはない。

藤田 18の時に上洛したとはいえ、すべてが地続きではある。

林 かといって、故郷(ふるさと)に帰ったからといって、もうそこは故郷じゃないからね。

藤田 名古屋にもたまに帰る?

林 帰る。けど、帰ったって、

藤田 もう、故郷ではない。うーん。

林 だから今回、ほら、余命何か月って言われてるから、故郷について、こんなに真剣に昨日考えてメモしてました。いい機会もらって、ありがたかった。

藤田 そのメモほしいです。

林 故郷って、何かなと思ったら、結局無いなあって気持ちになって。

藤田 でもさっきのポルトガルの話はそうだなあと思いますね。うん。

林 だから、故郷は探しているけど、ないみたいな感じですね。大体こう、死期が近づくと、海にかえりたいとか、空にあがりたいとかって言う人いるじゃないですか。

藤田 物質的な話になってしまうよね。

林 そうじゃなくて。僕もそりゃ亡くなったら故郷に帰りたいと思うけど、人間の命って、電気みたいなもので、ついてたものが、こう、パッと消えちゃうんだと思うんですよ。光だった命が消えたらなくなる、確かデヴィッド・ボウイも、最後のアルバムは『ブラックスター』でしょ。あの光は命についてで、それがすっごく理解できたんです。つまり、電気みたいに生きてる間はこう、灯ってるものが、ポッと消えちゃう。それでおしまい。っていうのが、命なんだなってわかって今回よかったです。


藤田 そうか。

林 故郷っていうことを考えて、旅っていうことを考えて、すごく、その2つによって自分がつくられてたんだなっていうことがわかって。自分は、ぽっと灯ったあかりだったんだなと思って。パッと消えたら、いいんだなってことがわかって、もう、思い残すことないなんてばかなことは言わないけど、それでもよかったなって。

藤田 たしかに故郷ってよく言いますけど、ほんとにもう帰っても、まず時間が違うし、景色すら違って見える。もう自分の中にしか、故郷はないんだろうなあって。そして自分の中というのは誰かにも見せれるものじゃないから。だから、そのためにやっぱり表現ってものがあるのかもしれない。表現していてもそれが表現できているかわからないけど。

林 思い出は、今というフィルターがかかって創造するから、ちょっとまた違ってきますけど。



林 僕が藤田さんに聞きたいことは、マームとジプシーの演劇が10年経って、ちょっと変わった感じがしていて。藤田さんがなんか悩んでるような気がして仕方がないんです。そのことを、ちょっと聞いてみたいなって。

藤田 ずっと悩んでますけど、悩みがずっと深くなってますよね。あとやっぱり表現ってなんなんだろうなって。リアルじゃないから。例えばその、お店とか、もっとリアルに人と関われる場所をつくってもいいはずなんだけど、自分は表現っていう、ひとつそれこそフィルターがかかったものをつくる。その時に、なんか人に嘘を言うことが前提にあるんじゃないかっていうところに引っかかっていて。今こうやって林さんに本当の話をきいてるのも、やっぱりその嘘とどう付き合っていこうか、ということを思うからなんですよね。嘘をつくことの美しさがある、人は嘘に感動すると信じてやってきたけど、ほんとに嘘ついていいのかなって。嘘を使わないと届かないこともあることを自覚しつつ。そういうところの悩みが深まっていますね。

林 生きてて、全て演技をしてるような感覚にとらわれることがありますよね。だからまあ、嘘をついてるわけじゃないけど、自分でも演技してるんじゃないかな。

藤田 自分というキャラクターをね。

林 つくって、演技している。本当に本当のことって突き詰めたら、一体どこになるんだろう、って。みんな多少嘘ついてて、今も、みんなから気に入られようとか思いながら喋ったりとか。人の人生そのものが演劇っていうのもダサいけど、今だって僕演技してるんじゃないかなって気もします。そういうふうに考えたら、さっきの故郷はどこにもない、じゃないけれど、真実はどこにもないみたいな。でもそんなことしてたら生きていけないから、ある程度そこで折り合いつけてやってるんだけど。だから、藤田さんが悩みが深くなってるっていうことに、ここ数年来、ものすごく感動していました。嘘ばっかりやってるんだから、本当をどこかでごまかしながらやってるわけだから。誠実すぎたら、そんなことしてたら参っちゃうよ、と思って。

藤田 大人になる、というのがよくわからないですけど。

林 わからない。

藤田 大人になる、というのはおそらく社会を知るみたいなことだけど、でもやっぱり子どもだってこんな嘘みたいな、嘘で塗り固められた社会だな、なんてことはもう早くからわかってて。だからおっしゃった通りで、嘘を生きるしかないというか。本当のことが全てなのであれば、逮捕されるべき人なんてたくさんいるし、何かをごまかしている人なんて山ほどいる。社会自体がもう虚像みたいなものなので。



藤田 僕も劇作家だの演出家だの、そういうキャラクターを決めてなんとなくやってるけど、もっと自分の皮や肉を本当にぎりぎりまで削ったところでやれよ、と思うんですよね。生命体として。嘘をつくにしても、その前に本当のことと向き合って本気でやれよ、と。

鴨川とかで、ビールを飲みながらゴーって音を夜に聴いていると自分に貼りついてしまったいろんなものが剥がれてく感覚があったりとか。音楽もそうですよね。ガーって轟音を聴いていると、現実から切り離されていって、自分の世間体とか、生活や日常、なにもかもがどうでもよくなるタイミングがある。それくらい音に没頭させる。演劇も、上手いことやろうとするばかりじゃなくて、その領域まで辿り着かなきゃいけないなあっていつも思ってやってるんですけど。

林 そうですか。映画監督のジョン・カサヴェテスっていう人が言ってた言葉で、“真実に向かう”っていう言葉が好きなんですよ。真実を描くんじゃなくて、真実に辿り着けないかもしれないけど、“真実に向かう”。それは始めっから負けちゃう戦いだけど、表現においては、真実を描くんじゃなくて、真実に向かうという。すごく素晴らしいと思って。いつも、どっかに留めてます。

藤田 真実を描くってみんな言っちゃうけど。そうじゃなくてね。

林 っていうのが、すごく好きです。好きというか、心がけている。

藤田 すごいいい言葉ですね。

林 でもそうするとね、生きにくいですよね。

藤田 そうですね。

林 誰もそんなこと、求めてない。誰もそんなこと、見たくもない、聞きたくもない。嘘でも甘い言葉の方がいい。ほんとにひどい世界ですね。こんな世界を生きなくちゃならない。最近ちょっと涙もろくていけない。こんなことで。

藤田 また明日も、会いに来ますね。


インタビュー:2022年10月17日

撮影:藤田貴大 

柳瀬瑛美(ひび)




-interview #2 へ続く

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