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藤田貴大 特別ロングインタビューvol.5

September 14, 2017

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藤田貴大 特別ロングインタビューvol.5

September 14, 2017

 

 

 前回のインタビューは、2013年と2015年に上演された『cocoon』を軸にマームとジプシーの活動を振り返った。そこで藤田が口にしたのは、「そこから2年経った今、あの公演って何だったんだろうと思わざるを得ない」という言葉だった。藤田が感じた壁とは、言葉のなさとは何だったのか。最終回となる今回のインタビューでは、2015年の『cocoon』が終わってすぐにイタリアで滞在制作された『IL MIO TEMPO』から、現在行われている10周年ツアーに至る道を振り返る。

 

 

イタリアでの滞在制作

 

――前回のインタビューで、『cocoon』の再演で行き当たった壁があるという話がありました。2015年の『cocoon』が終わって、最初にゼロから創作したのは『IL MIOTEMPO』です。これは『cocoon』が終わったちょうど一ヶ月後にイタリアのポンテデーラという町で滞在制作した作品です。まずはポンテデーラで滞在制作することになった経緯から伺えますか。

 

藤田 2013年に『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』のフィレンツェ公演の時、皆が観光している時間に僕はミーティングしてたんですけど、そこで「イタリアで作品を作らないか?」という話になったんです。「来年イタリアツアーを組むから、オーディションを兼ねたワークショップを開催してくれないか」と提案されて、2014年はとにかく全部の町でワークショップをして。そこで出会った人たちと作った作品だから、『IL MIO TEMPO』は結構長い年月を費やしてますね。

 

――2013年の段階でもう作品に向けて動き始めていたんですね。

 

藤田 そうなんです。そのワークショップはとにかく同年代の人たちが受けにきてくれたんですけど、ツアーをしている最中にも「あの二人は良かったよね」とかそういう話はしてたんです。それで「この人たちとやりたい」とオーダーを出して、2015年にイタリアで滞在制作することになったんです。

 

――『IL MIO TEMPO』は日本人俳優4人とイタリア人俳優4人による作品です。その比率というのも早い段階で決まっていた?

 

藤田 僕は決めてましたね。『IL MIO TEMPO』は『てんとてん』のツアーで出会った人たちと作りましたけど、そこに尾野島さんと聡子は入ってないんですよね(『てんとてん』に出演する召田実子も『IL MIO TEMPO』に出演していないが、スタッフとして参加)。それ以外の4人に、『ILMIO TEMPO』はゆりり(川崎ゆり子)を加えたんです。この頃からゆりりという軸を作ろうとしていて、ゆりりのフェーズを今までの関わりより一段階上げたいなと思うようになって、ゆりりを旅の一員に組むことにしたんです。

 

――これは用意していた質問ではないですけど、そこでゆりりとの関わりを一段階上げようと思ったのはなぜですか?

 

藤田 これはこないだ成田さんにも言われたことなんですけど、僕、にこにこしてるやつ嫌いなんですよ。ゆりりを見て、最初のうちは「こいつ、ずっとにこにこしてるな」と思ってたんですよね。何か思ってることがあるのに、にこにこしてる時もあるだろうなと思ってたんです。それで、『Kと真夜中のほとりで』の初演や『今日さんとジプシー』のゆりりをすごく憶えてるんだけど、そこから表情が変わったタイミングが再演の『cocoon』に向かっていく時にあったんですよね。それで、ゆりりという人と関わっていると、青柳さんや成田さんとでは作れない流れが戯曲に生まれる気がしたんです。この頃は「自分の作品を整理しなきゃいけないな」と思い始めた時期でもあって、全員にいろんな感情があってずっとやってきたつもりだけど、そこでこれまでに無い冷静なモノローグを言える人がいるとすれば、それはゆりりかもしれないなと思ったんです。

 

 

「作・演出」ではなく「編集・演出」

 

――『IL MIO TEMPO』の滞在制作は、蓋を開けてみれば「2週間で作品を発表しろ」という異常なオーダーだったわけですよね。そこで印象的だったのは、焦って作品を作らなかったことで。あの時のポンテデーラの滞在制作では、皆と一緒に散歩したり、料理をして食事をしたり、音楽を聴きながらお酒を飲んだり、そういうことにかなり時間を割きましたよね?

 

藤田 あれはすごく思い知らされた公演でしたね。「そんな短い期間で作れってオーダーになるんだ?」とも思ったし、行ってみたら公演日が3日前倒しされてたんです。でも、僕らはなぜかコミュニケーションのほうを優先的に選んだんですよね。言葉というものは厳密には伝わらないし、そこに翻訳が挟まるから時間もかかるんだけど、とにかく僕が話してるってことを知ってもらいたいと思ったんです。

 

――滞在中、通訳を交えてやりとりをする時間もありましたけど、調節やりとりする時間も結構ありましたよね。ただ、藤田さんをはじめとして、すごく英語がしゃべれるってわけじゃなかったと思うんです。そこでコミュニケーションを取った時に、もちろん分かり合えたなんてことは言えないとは思うんですけど、何かが通じている感触が得られた部分はあるんじゃないかと思うんですね。その感触が以降の作品に繋がったところもあるんじゃないですか?

 

藤田 そうですね。やっぱり、大きい作品――つまり『cocoon』の再演ですけど――をやったあとは、僕らにダメージがあるんです。やっている最中は頑張るしかないんだけど、「やっぱりあれは大きいことで、この部分はキャパシティを超えていた」ってことが終わったあとにわかるんです。これは『cocoon』に限らずどの作品でも思うことなんですけど、「ひとりひとりと関われたのかな」ってことは残るんですよね。そのひとりひとりと関わるってことを重点的にやりたいと思えたのは、『cocoon』の再演のあとだったからかもしれないですね。それで、ひとりひとりとやっていくと、結構面白いエピソードが出てきたんです。これは自分の言葉がからっからの状態だったのもあるとは思うんですけど、『IL MIO TEMPO』に関してはあんまり僕の言葉は要らないなと思ったんです。皆のインタビューした話をどう編集するか、そのまとめかたを僕が決めるだけで作品を作れないかってことは考えてましたね。それは次にある『書を捨てよ町へ出よう』の時もそうだったんですけど、「テキストは役者の中にある」みたいな考え方だったんです。『IL MIO TEMPO』と『書を捨てよ町へ出よう』に関しては、「作・演出」じゃなくて「編集・演出」だと思ってますね。

 

――『書を捨てよ町を出よう』については、第3回目のインタビューの中でコラボレーションの流れとしても語ってもらってもいますけど、あの作品における言葉のありかたというのはそれまでとはずいぶん違っていた気がします。

 

藤田 『小指の思い出』と『書を捨てよ町へ出よう』のまったく違うところは、僕の中で言葉が物理的なものになっていって、それを配置していくイメージがあったんです。「このタイミングで言うから、この言葉は映えるんだよね」と。それは『IL MIO TEMPO』にも通じる話で、僕はイタリア語がわからないから、「ここでアンドレアのエピソードを語るのがいいよね」ってことを音的な感覚でドライに配置できたんです。それを『書を捨てよ町へ出よう』でもやれないかってことは考えてましたね。やっぱり、寺山さんのことを勉強しても、正直わからない部分があるんです。いや、もちろんわかってるけど、わかってないんです。だから、その時代を知っている人の中には僕の『書を捨てよ町へ出よう』を観てムカついた人もいるかもしれないけど、「僕の耳でやるとこういう配置になる」ってことを『小指の思い出』よりわがままにやれた気がします。

 

 

穂村弘さんと探す、言葉の輝き

 

――その時代を知るということで言うと、『書を捨てよ町へ出よう』について考える時間というのは、当時は言葉というものがどんな力を持っていたのかを考える時間でもあったと思うんです。それは今の時代における言葉のありようとも照らし合わせることにもなったと思うんですけど、その点についてはいかがですか?

 

藤田 そこに関して言うと、穂村さんがいてくれたのが大きかったですね。穂村さんが寺山さんの短歌について解説もしてくれたんですけど、穂村さんと一緒にきれいな言葉を探して行った感じがあるんです。それを探して行くと、「この言葉って、今で言うとこういうことだよね」という感覚になる。変わらずきれいな言葉もあれば、変わってまた輝きを放つ言葉もあるっていうことがわかったのは感動的だったんですよね。最初はもっとドライに考えてたんですよ。「僕はこの世代の人たちのことを勉強してみるけど、結局のところわからないだろうし、この世代の人たちも僕らのことはわからないだろう」と。でも、それは『cocoon』をやっていたからそう思えたのかもしれないけど、「感覚は多分違うけど、あの頃の問題が今の時代に存在しないわけじゃないな」ということは考えていて。それで、映画版の『書を捨てよ、町へ出よう』を観ていると、夜のシーンがあんまりなかったんですよね。寺山さんのエッセイを読んでいてもあかりや光の話をよくしていて、「この人が求めていたことって何なんだろう?」ってことは考えましたね。

 

――穂村さんとの関わりというのは、マームと誰かさん・よにんめ『穂村弘さん(歌人)とジプシー』があって、そこから『書を捨てよ町へ出よう』に映像出演したり、穂村さんと藤田さんが雑誌で対談したり、継続しているものがありますね。穂村さんというのは言葉の人ですけど、その穂村さんと過ごす時間はどんな時間として藤田さんの中にありますか?

 

藤田 穂村さんの歌集や詩集やエッセイを読んでいると、ほんとに勉強になるんですよね。ほんとに自分を穂村さんと重ねている部分があって、はっきりと影響を受けていると思うんですよね。僕の作品を観ても、穂村さんの影響を受けているように見えないかもしれないけど。穂村さんは「かなしい」とは言わないんだけど、穂村さんが書いているのはかなしみに近い何か、やりきれなさみたいなことだと思うんです。書いているものの面白さはもちろんあるんだけど、僕は「穂村さんが世界像というものに対してどういう態度でいるか」をものすごく読んでしまう。穂村さんの本はずっと前から読んでるんですけど、あるタイミングで穂村さんが僕の作品を観にきてくれて、そこで頷いてくれたことがマームにとっての一つの変革だった気がします。それは『あ、ストレンジャー』だったんですけど、穂村さんがそう思ってくれたことが嬉しかった。穂村さんもかなり少女性について考えている人だと思うけど、少女性とかスタイルとかそういうことじゃなくて、もっと根本的に、世界との向き合い方みたいなところで繋がったと思ったんです。

 

――でも、そこから「穂村さんとコラボレーションして作品を作ろう」に至るのはまた、一つ段階が違うことだと思うんですね。『穂村さんとジプシー』に至るのはどういう経緯があったんですか?

 

藤田 『穂村さんとジプシー』は引っ越しのことを全編に渡って語る作品だったんですけど、どこからどこに引っ越すっていうことや、部屋ってどういう部屋だったっけってことを考えたかったんです。青柳さんとの作業を考える上でも、あのタイミングで穂村さんとそういう作品を作ることがすごく大切だった気がします。

 

――あの作品をやっている時期は、それまではいくらでも台詞をおぼえることができていた青柳さんが、「台詞が入らなくなった」と言っていた時期でもありますね。

 

藤田 そうですね。この時期は『cocoon』の初演から再演に至るまでの時間でもあるんですけど、「マームと誰かさん」シリーズというのは、青柳さんとどういうふうにいろいろな言葉を発見していくのかというシリーズでもあると思うんです。それは『カタチノチガウ』で身体を壊してしまったことにも繋がってくると思うんですけど、どうやって人の言葉を話すのかということを、青柳さんは僕以上にシビアに考えちゃっていたんだと思うんです。だから、そこでいろんな言葉との出会わせ方をしたかった。いわゆる劇作家の言葉じゃなくて、穂村さんや名久井さんの言葉と出会った場合にどういうものが生まれるのかを観たかったんです。

 

 

名久井直子さんを通じて考える、俳優の役割

 

――そこで『穂村さんとジプシー』の一ヶ月後にマームと誰かさん・ごにんめ『名久井直子さん(ブックデザイナー)とジプシー』があるわけですね。ただ、穂村さんは言葉の人であるのに対し、名久井さんは言葉に携わる人ではありますけど、立ち位置がまた違いますよね。そこで名久井さんとのコラボレーションに至ったのはなぜですか?

 

藤田 名久井さんとはもっと前から、忘年会とかで出会っていたんです。めっちゃ紙の話をしている人だという印象があって、もちろん作っているものはリスペクトしてたんですけど、「この人は何なんだろう?」と思っていたんです。それで、名久井さんがある時、「どの家にも本棚はあるけど、自分の本がどの本棚にも潜り込んでいけることを想像する」と言ったことがあったんですよね。「でも、『これは名久井が作った本だ』とは思われたくなくて、私の作った本は見つからないぐらいがいい」と言っていて、何言ってるんだろうなと思っていたんです。でも、そこで名久井さんが言っていることが強く引っかかって、ずっと気になっていたんですよね。穂村さんも名久井さんも本の人だけど、演劇は無形のもので、本みたいに形には残らないものですよね。僕の作品を観た人たちがそれを持ち帰って本棚に並べることはないんですけど、だからといって持って帰ってもらうことを考えなくていいとは思ってないんですよね。じゃあそれは、日常に溶け込むののなのか、日常に溶け込まずに違和感として残ってしまうものなのか。そういうことを考えた時に、名久井さんという人の職業について考えたんです。僕を含めて、ゼロをイチにする人っていると思うんですけど、名久井さんはその次に待っている人だと思うんですよね。

 

――ブックデザイナーというのは、作家によって書かれた言葉を形にする人ですからね。

 

藤田 名久井さんはそれをものすごいモチベーションで話すけど、そのことをそんなにやるって、作家のことをよっぽど信じてなきゃ出来ない作業だと思ったんですよね。それに、その作業は僕と青柳さんの関係に似てると思ったんです。役者さんの中にはゼロのことを考え出してしまう人もいますけど、ドライな言い方をすればそれって余分なんですよね。青柳さんがすごいなと思うのは、徹底してイチからの人なんです。こっちに入ってこないんです。そこに徹底してくれるから仕事しやすくなるし、新しいことに手を伸ばせる。それは名久井さんと一緒だなと思ったし、それと同時に、名久井さんや青柳さんは本当に孤独だなと思ったんです。世の中では「作家や演出家って孤独だよね」と言われがちだけど、役者や装丁家は誰かの言葉に没頭するわけで、それは一人になる作業でもあると思うんです。『名久井さんとジプシー』はそのことを考える時間でもあったから、誰かさんシリーズの中でも一番自分に返ってくる作業だった気がします。

 

――そこで考えたことが、あの作品に登場する「名久井さんは、名久井直子さんは、自分の言葉を持っていません。誰かが書いたもの、描いたものに手を加えているだけで、言葉を持っていません。でも、名久井さんもそうだけれど、じゃあ、私は、私は、私も、そう、言葉を持っていません。誰かが書いたものをしゃべるだけの、女優、だからです」という台詞につながってくるわけですね。

 

藤田 そうですね。それ以降、普段の稽古でも「あなたたちがミスしちゃいけない理由は」ってことを言うようになったんですよね。僕は紙という媒体に書いているわけではなくて、人間というものに書き下ろしてるから、人間にミスされたら僕の言葉は破綻するんです。だから「出口となる人たちがちゃんと担ってくれないと、僕の仕事は成立しない」ということを皆に直接的に言うようになった気がします。

 

 

夜のこと、ヒカリのこと

 

――『書を捨てよ町へ出よう』を上演していた時期というのは、『蜷の綿』を書き上げる時期でもありました。ただ、『蜷の綿』の上演は延期になってしまって、その代わりに夜を描いた3作品を再編集して『夜、さよなら 夜が明けないまま、朝 Kと真夜中のほとりで』を上演します。蜷川さんを待ちながら、あのタイミングで夜を描いた作品を再編集したことは、今に至る流れに大きく影響している気がします。

 

藤田 『蜷の綿』はマーム・バージョンも上演する予定だったんですけど、蜷川さんが開成中学に通っていた頃に学校行かずに散歩していたコースがあって、その日はそのコースを散歩してたんです。蜷川さんが歩いたであろう道を皆で歩いてみていた最中に電話がかかってきて、「蜷川さんの体調が悪くなったから、公演は延期になるかもしれない」と言われて。そこで僕と林さんだけ車に乗って劇場に戻ったところで「延期にする」と聞かされたんですよね。皆もそのうちに帰ってきて、すぐにミーティングになったんですけど、その時には僕の中で結論が出てたんです。それで皆に「夜ってタイトルがついてる作品を書いてるんだよね」ってことを話したんですよね。そこで夜という言葉を取り組みたいと思ったのは、『cocoon』をやったことも影響してるし、『書を捨てよ町へ出よう』の時に「ヒカリ」って言葉を改めて考えたことも影響してるんです。それに、劇場という空間は暗闇を作ろうとして、演劇作品を作るということはそこに何かを灯そうとする作業なんだよねっていうことを考えていて、それを「夜」って言葉で形容できないかと思ったんです。蜷川さんという人もやたらと暗闇に来た人で、あんな身体を引きずってまで劇場という場所に何かを灯そうとしてた人だと思うんですけど、それは『Kと真夜中のほとりで』で描いたことと変わりがないんじゃないかと思ったんです。あの作品で尾野島さんが演じる“かえで”という役は懐中電灯を持って夜を歩いているけど、それは蜷川さんや僕がやっている作業と変わらないような気がしたんですよね。あと、あの時期は時代のことも考えてました。2015年は「戦後70年」とか言ってましたけど、そのあたりから2017年現在にかけてどんどん理不尽に変えられていったことがあるじゃないですか。そういうことも含めて、改めて夜って言葉をやってみたいと思ったんです。

 

――『Kと真夜中のほとりで』の初演と比べても、「夜」という言葉の響きは変わってきたと思うんですね。『夜、さよなら 夜が明けないまま、朝 Kと真夜中のほとりで』は今年の10周年ツアーでも上演されますけど、その響きはまた変わっている気がします。

 

藤田 こまばアゴラ劇場で『Kと真夜中のほとりで』をやっていた頃は、もっと個人的なことを描いていた気がするんですよね。人が死んでしまうことは人にどういう影響を及ぼすのか、直接的に考えていたと思うんです。それを観た人たちは震災のことを重ねたかもしれないけど、僕としては個人的なことを出発点に描いた作品で。でも、2016年に上演した時にはもう、ある出来事のことだけじゃなくて、自分の中に立ち込めている不安になっていた気がします。ピンポイントな死というものは本当は一番描けないことだから、もうちょっと大きなところに手を伸ばすことで小さな死のことも見えてくる。2016年の時にはそういう方法になっていたから、2011年とは全然順番が違うんだろうなと思います。

 

 

福島の中高生と作る『タイムライン』

 

――その意味で言うと、2016年に『夜、さよなら 夜が明けないまま、朝 Kと真夜中のほとりで』上演した1ヶ月後に上演されている『タイムライン』という作品もまた印象的ですね。これは1年近い歳月を費やして福島の中高生と作り上げたミュージカルですけど、出演する中高生の具体的なキャラクターを描くというよりも、彼らの一日のタイムラインをどこか普遍的に描いた作品でした。

 

藤田 そう、そこは難しいんですよね。「全部がそうだよね」って普遍的なところから始めようとすると、一歩間違えばとんでもない過ちを犯すことでもあると思うんです。でも、「このことをよっぽどやってきた」という実感があったからこそ、あらゆる人たちにハマるピースを僕が作ればいいんじゃないかと考えるようになったんですよね。『タイムライン』は、福島に対する僕の態度だと思うんです。たとえば、『cocoon』ぐらい具体的なことをやるっていうのは、いろんな人の感情をある意味で突破していくようなことだと思うんです。でも、『タイムライン』という作品は、彼女たちの日常としても観れるし、震災という巨大な出来事としても観ることができるってことをやりたかった。あの作品をやる上では、僕の福島に対する態度を考えざるを得なかったんです。僕の立場で何をやれるかってことを考えた時に、一日の時間軸だけを描いた作品をやろうと思ったんですよね。それは漠然とした作品だと思われるかもしれないけど、何かが変わるピースになれるんじゃないかと考えていた気がします。

 

――『タイムライン』という作品は2016年に上演されて、今年の春にもまた上演されています。1年経っていくつかの変更が加えられていましたけど、とても慎重に作業を進めている印象を受けました。藤田さんの中に浮かんでいる言葉はたくさんあるけど、それをどこまで中高生たちに手渡せるのか、どういう言葉を今渡すことができるのか、すごく慎重であるというか。

 

藤田 そこはいまもギリギリのところでかんがえつづけていますね。『タイムライン』はとにかくずっとメンバーとミーティングしながら進めていて、そのなかで話が何周もまわることになるんですけど、そこで「今言える距離ってこれだよね」「震災から5年っていうのはこういうことかもしれない」ということは具体的に話し合っているつもりなんです。でも、それを僕らが言って聞かせるのと、それを言わせるのは全然フェーズが違うと思うんです。それをあの子たちに言わせるってことは、僕はその子たちの身体の後ろに隠れて言わせることになると思うんですよね。それって本当に暴力だなと思うんです。その子たちを盾にしてはいけないと思って、そこは踏み外さないようにやっているつもりです。

 

 

ありとあらゆる町を描く

 

――どういう言葉を渡していくかという点では、2016年7月に京都で上演された『A-S』という作品も印象的でした。あの作品は出演者の皆にインタビューをして、そこで皆が語ったエピソードを軸に構成された作品で、藤田さんが書きおろすテキストは最小限に留められた作品でした。

 

藤田 これはうまく行った仕事の一つだと思ってますね。『IL MIO TEMPO』の時も極端なほど皆にインタビューをして、僕の言葉を最小限に抑えた作品だったと思うんですけど、さらに僕の言葉を抑えたバージョンを作れた感じがあったんですよね。あとは『書を捨てよ町へ出よう』のときにコツをつかんだスキルもあったから、「ここに配置したらよく見える」とか、「台詞がなくても、ここにいるだけで語っている感じがある」とか、そういうことがやれて楽しかったですね。結構良い思い出です。

 

――これは京都で滞在制作された作品ですけど、固有名詞は一切出てこないですね。2012年に北九州で滞在制作した『LAND→SCAPE』の場合は随所に固有名詞が出てきたことを考えると、これは結構大きな偏諱であるような気がします。その街だけのことを語るのではなく、どこにも当てはまることを描いているという。

 

藤田 そうですね。これはちょっと未来の話になりますけど、『IL MIO TEMPO』という作品は、上演時間のなかで語っている内容のことだけを言っているのではなくて、作品を作るプロセスを含めて『IL MIO TEMPO』なんです。パッケージングされた作品を持っていくツアーはもう出来るようになってるんですけど、そうじゃなくて、『IL MIO TEMPO』なら『IL MIO TEMPO』というシステムを旅先に持って行って、そのキットを開封すると作品が出来上がる。そういう仕組みがあれば強いよねってことを話したんです。『A-S』の時もそれを意識していて――だから『A-S』も『IL MIO TEMPO』システムなんですよね。皆にインタビューをして、その話の配置を決めていく。そこに固有名詞は出てこないけど、作品に出てくる人たちはどうやら同じ町に住んでいる。その仕組みがあれば、ありとあらゆる町で作品が作れると思ったんですよね。その現場にゆりりにもいてもらったんです。

 

――ゆりりは『IL MIO TEMPO』にも出演していて、普段からマームとジプシーに出演するメンバーとして唯一『A-S』に出演しています。

 

藤田 ゆりりは『IL MIO TEMPO』のやりかたを最初から最後まで見てたから、すごいやりやすかったですね。そこで皆にインタビューする質問はすごくシンプルで、「好きな食べ物は?」とか「異性に違和感を感じる時は?」とか、そういうことを録音して書き起こす。それを小道具と同じように僕の素材にして、編集していく。それをホテルという舞台にまとめたのが『IL MIO TEMPO』で、町を舞台にまとめたのが『A-S』だったんですよね。このやりかたで町と関わって、フットワーク軽く作品を作ることができれば、民俗学の本を読んだときの充実感みたいなことができる気がして。僕は宮本常一さんの本とかもよく読むんですが、「これってこの土地の話じゃなかったとしても面白い話だよね」って思える本ってあるじゃないですか。その固有名詞じゃなかったとしても面白いと思えるものはある。その意味でも、『A-S』は良いバランスが組めた気がします。

 

――このインタビューの第2回では旅をめぐる話を伺いましたけど、旅を重ねてきた時間があるからこそ、町に対する普遍的な感覚が生まれてきたのかもしれないですね。

 

藤田 そういう感覚で土地と関われてなかったら、『タイムライン』はもっといきんだ作品になってたかもしれないですけど、僕は福島に行けていることがスペシャルなことだと思ってないんですよね。逆に言うとすると、どの土地に関わることもスペシャルなことですし。

 

 

童話をモチーフとする『0123』

 

――普遍的ということで言うと、『A-S』と同時期に京都の元・立誠小学校で『0123』という作品も上演されています。これは童話をモチーフとした作品で、その意味で普遍的な作品でもありました。

 

藤田 立誠でやるのは『0123』で3回目だったんですけど、まだあの会場を使いきれてないと思ってるんです。もともと学校だった場所だから、そこに入っただけでノスタルジックなイメージがあって、そこに飲み込まれる感じがするんですよね。でも、『0123』のときに高橋涼子さんに参加してもらったことで、学校ってイメージだけじゃなくなった気がします。自分が住んでいた町のことを個人的に描いていた時代があって、いろんな土地と出会ったことによって漠然としたものから描き出すようになる――それはこの10年でやってきたことでもあるんですけど、『0123』はそれと全然違ったんです。童話というレベルのところから町を描くということは、『カタチノチガウ』あたりから始まっていて、『0123』は純粋にそれを創作できたと思います。あの作品は戦争のことを描いたつもりなんだけど、童話や寓話がベースにあるから、『cocoon』ほど直接的ではない形でバランスが組めたんです。だから去年の夏は楽しかったですね。

 

――今「戦争」と言うと72年前のことを思い浮かべてしまいますけど、戦争自体は人類の歴史の中で延々繰り返されているわけですよね。そうやってありとあらゆる時代に起きている出来事に思いを巡らせるというのは、今振り返ってみると、『ロミオとジュリエット』に通じる道だったという気もします。

 

藤田 『ロミオとジュリエット』に向かっていく感じはもちろんあったんです。僕の中では「誰もが知っている『ロミオとジュリエット』という物語に向かうために、まずは童話みたいなところから考えたい」ってことで『0123』を作ったんですけど、それ以上のものが出来上がって自分でもびっくりしたって話なんですよね。『0123』はそれぐらいの成果があって、そうなってくると『ロミオとジュリエット』はめちゃくちゃ考えやすかったです。『カタチノチガウ』というのはマームの作品群の中でも完全に異質な作品で、マームの皆も初演を観てたお客さんも「何だろうこれ」と感じたと思うんです。でも、それが自分たちの血になっていって、『0123』という成果をあげられたことで、400年前のことであろうと「未来の話かもしれない」ぐらいの問題として『ロミオとジュリエット』を描けたんです。キャストをほぼ全員女性にしたのも、フェミニズムとかそういう言葉が念頭にあったわけではまったくなくて、「普通に女性同士でいいよね」と、とても自然な流れのなかでそう思えたんです。男性はもう希少生物になって、女性だけで生殖できる時代のことをやってるような感覚もあったんですけど、それは僕が、いろんな流れのなかで固い状態に持っていけたと思っていたから、自信を持って稽古してましたね。

 

 

言葉のなさを考える

 

――あのとき上演された『ロミオとジュリエット』には、「言葉なんてない」というフレーズが登場します。

 

藤田 あのときはまず、「隣の誰かが何を考えているかわからない街角」って言葉が浮かんだんです。戯曲を読んだときにそれがポンと浮かんで、その一点に尽きると思ったんです。それはいろんなことを象徴していて、たとえば伊達にはヤンキーが一杯いて、どこを歩くのも怖かった時代があったんです。歩いているとすぐに「何見てんだよ」って言われる謎の町だったから、あの頃から自分の部屋って僕を守ってくれる場所だなと本気で思ってたんですよね。それに、今の日本はいつ刺されてもおかしくない状況にあるし、いつ誰が死ぬかわからないようなことってあると思うんです。『ロミオとジュリエット』はそういう唐突な時間を描いていて、しかもタイムリミットが厳密な戯曲なんです。そこで起きている悲劇は「悲しい」とか「怒る」とかって言葉を使わなくてもわかると思ったから、「このことに対して言葉なんてないってことはわかるよね」ということで、かなり観客を信じてやっていた部分はあるんです。言葉なんてないってことで言うと、アメリカの大統領選挙があったのも『ロミオとジュリエット』の稽古をやっている頃だったんですよね。そのことに対していろんな言葉を尽くして揶揄する人たちがいるけど、言葉がなくたってその酷さはわかるわけで。だからもう、「言葉がなくたってその酷さはわかる」ってことで繋がっていくしかないんじゃないかとか、そういうことも考えてましたね。

 

――言葉が過剰に用いられている現状に対する違和感と、現状を前にした言葉のなさとがあって、それが『sheep sleep sharp』に繋がっていくわけですね。あの作品が印象的だったのは、劇中に置かれる余白のような時間のことです。どうしてあそこまで余白を配置しようと思ったんですか?

 

藤田 この数年間、自分の言葉では何も変わらなかったことについて考えている気がするんですよね。言葉を尽くしたところで、変えられるものは限られていることに対する絶望感はあったと思います。でも、観客の中にも言葉はあるはずだと思ったんです。舞台上に空白のような時間があったときに、その空白の中で観客が考えている言葉はあるはずで、その言葉だって上演中に扱われる言葉のひとつじゃないかと思ったんですよね。そこに賭けたくなったんです。だから『sheep sleep sharp』は初日があけるまで一番心配だった作品なんですよ。今までとはまるで描き方が違うから、通し稽古をやってみてもこれが完成なのかわからなくて。でも、初日があけてみると、初めて完成だと思えたんですよね。というのは、あの作品で僕は観客の時間を作っていた気がするんです。観客が静かになるまでの時間や、重い空気に観客がくらっている様子を含めて作品になった気がする。あの作品では、役者も共演者とだけやるんじゃなくて、観客席まで含めた空間のことを観てた感じがあるんですよね。重い空気を作ったあとに、どれだけもっと重いことを言えるのか。その作業はかなり新作だったなと思います。

 

――2015年の初めに上演された『カタチノチガウ』という作品には、「わたしたちは生きることが果たして『本来』なのだろうか」という台詞が登場します。その次に発表された『ヒダリメノヒダ』であれば、「こんな世界、はっきり見なくて済むんだ」という台詞がある。そこでは生きることが疑われていたのに対して、『sheep sleep sharp』では「わたしは生きることを肯定する」という強い言葉が登場します。

 

藤田 これは変な意味で言っているわけじゃないんですけど、『カタチノチガウ』の頃は特に「死んだほうがマシだな」と思ってたんだと思うんです。死んでしまうことのほうがこの世界に対する距離としては適切で、生きているほうが間違っているのかもしれない。知り合いに自殺とかされると、そんなふうに思えてくるんです。自ら死を選ぶことはあたかも悪いことのように言われるけど、それはものすごく適切な態度なんじゃないか――20代の頃はそういう考えにとことん引っ張られた部分があるんですよね。それは今でも変わらなくて、人間は死ぬことを選ぶ権利があると思っているんです。生きることもできるが、死ぬことだってできる。ただ、生きていることをバカにされるのは違うなと思ったんです。いくつかの事件や、いくつかの政治のありさまを見ていると、生きていることをバカにされているような気持ちになる。「お前らは生きていることをバカにしてるから、そんなことができるんだよね」と思ったんです。そう思った瞬間に、ここで僕が「生きることは果たして『本来』なのだろうか」と揺らぐというのは、今まで僕の劇を観にきてくれた人たちに対する態度として違うんじゃないかと思ったんです。僕は自分の作品を観せることに対する責任のことをどうしても考えるから、『cocoon』という作品でツアーをしたことの責任も考えるんですよね。その僕が、今生きている人たちに対して追い討ちをかけるように「生きていることは間違っているかもしれない」と新作で揺らいでしまうのは違うんじゃないかと思って。『sheep sleep sharp』はそこから何周かまわった感じがあって、あんなに殺すシーンを描いておいて何だけど、あんまり人を死なせたくなかったんですよね。

 

 

『sheep sleep sharp』と10周年ツアー

 

――今はもうMUM & GYPSY 10th ANNIVERSALY TOUR vol.1が始まっています。そこでは4作品が上演されるわけですが、いずれも過去に上演された作品をリクリエイションしたものですね。『sheep sleep sharp』を経た今、その作品たちをどう上演するかという点にも変化があるんじゃないかと思います。

 

藤田 たとえば『クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ』に含まれる作品を最初に作っていたときは、サカキバラの事件を含めて、僕の世代観を描くことが一つのテーマだったと思うんです。『モモノパノラマ』で言うと、僕が小学校6年生のときにうちにやってきたモモって猫がいて、僕が上京した10年後にモモは死んでしまうんだけど。最初に上演した時は“あの町にいた頃の自分”のことを描いていた気がするんですけど、今回のバージョンではそれが後ろに行っていて、一貫して命みたいなことが前に出ている気がしますね。それは小さい命かもしれないけど、モモの命と死んでしまった友達の命は天秤にかけてもいいものなのか?そこは役者とのかかわりとしても変わった感じがするんです。前はもうちょっと死ぬまでのことをやって欲しかったんだけど、それは念頭になくて、生き続けた結果として、生きることが突然終わってしまう唐突さをやって欲しいんです。それは『sheep sleep sharp』以降だなと思いますね。

 

――『クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ』と並べて観た時に、『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――――――』で描かれる喪失や記憶というモチーフのありようも、2012年に『ΛΛΛ』が上演された時とは質感が違うなと思ったんです。いずれの作品でも喪失が描かれていますけど、そこでは喪失に引きずられてしまっている側が、生き延びている側が抱える感情の過剰さが描かれています。かつては役者の身体やリフレインでその過剰さにアプローチしていたと思うんですけど、今回はまったく違ったアプローチを取っているように感じます。

 

藤田 そうですね。今回、『ΛΛΛ』はかなり言葉を書き足したんです。というより、前回の台本は一回捨てたんですよね。もちろん実際には取ってあるし、そこから採用したテキストも結果的にはあるんだけど、一回全部捨てたんですよね。『sheep sleep sharp』と同じように、最初は物の移動だけ考えて。それが決まった翌日に、僕が全チャプターに徹夜で詩を書いたんです。その詩を物の移動にはめてみて、石橋英子さんが書き下ろしてくれた音をはめていく。それをやっていくうちに、「3年前の『ΛΛΛ』にあったあのシーンはここかもね」ってことを話し合いながら形作った経緯があるから、全然テンポが変わったんです。一番印象的だったのは、前回は「父が死んで悲しい」ということをしつこく描いた気がするんですけど、今回あらたに「生きるってことを肯定したくても肯定できない状況だよね」って台詞を書き加えたときに、「あ、そうだったな」と気づいたんです。『sheep sleep sharp』で「生きることを肯定する」と言ったけど、そうは言うものの、それを肯定できない時間に陥ることってあるよなと思ったんです。

 

――誰かが死に瀕している時や、何かがなくなる瞬間というのは慌ただしくて、「生きることを肯定する」ということだけでは切り抜けていけない部分はありますよね。「生きることを肯定する」ということ自体はまったくその通りだけど、それだけでは押し切れないリミットがある。そのタイム感というのは、今回の『ΛΛΛ』に描かれていた気がします。

 

藤田 それを書き込めた時に、『sheep sleep sharp』以降の作品にやっとなれたなと思ったんです。やがてそこに住んでいた頃のことも忘れていくって、どんな喪失よりも大きなことだなと思うんです。ラストの台詞はまったく新しいテキストで、多くの人にとっては何のこっちゃって感じかもしれないけど、僕はあそこに尽きる気がしてるんです。でも、そのプロセスを描くのは『ΛΛΛ』の条件では無理があったかもしれないですけど。

 

――そこを描くためには新作が必要なんでしょうね。今回のツアーに向けたインタビューで、「一つの作品で言えることには限界があるから、それで4作品を持ってツアーをする」ということを藤田さんは語っています。ただ、いくつか作品を携えたとしても、演劇で言えることには限界があると思うんです。『sheep sleep sharp』の時に藤田さんが言っていたように、小説という体裁と違って、生きている俳優に語らせることを前提とする演劇では、その言葉を観客を前に語らせることができるかということを考えた時に、書き下ろせる言葉に限界があると思うんです。2時間なら2時間という上演時間の制約があり、戯曲として残るとはいえ、上演は今この場所でしかできないという制約がある。その制約がある中で、今この時代に生きている人を前に発表して、その人たちが何かを受け取って帰っていくことに期待するわけですよね。それが期待通りの結果になるとは限らないのに、それでも小説や映像作品ではなく演劇を選ぶというのはどうしてなんでしょうね。もちろん小さい頃からずっと演劇をやってきたというのはあるにしても、もはやそれだけではありえないと思うんです。だとすれば、なぜ演劇を選ぶんでしょう?

 

藤田 やっぱり、空間における言葉というものを信じてるんだと思います。家で読書する空間があってもいいし、音楽を聴く空間があってもいいと思うんだけど、劇場に足を運んできた人たちが言葉を浴びるというのはものすごく刺激的なことだと思っていて、演劇が一番面白いと信じているんですよね。難易度は高いんだけど、これ以上に届く言葉を僕は知らないんです。もちろんジレンマもあるんだけど、上演時間というのはいろんな体力が伴っている空間なんですよね。そこには役者の体力もあるし、スタッフの体力もあるし、観客の体力もある。時間には制限があるなかで、言葉がどこまで外の世界と繋がるかってことをやれるのは、演劇以外にない気がしているんですよね。僕が最初に出会ったのは10歳の時に母に連れられて観た演劇なんだけど、あのときのままなんですよね。あのときのまま、演劇の時間のなかでは、生きている気がする。それは昔から変わってないですね。

                     (ここまでの取材・文=橋本倫史)

 

 

 

 


【写真】
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井上嘉和:「A-S」
井上佐由紀:「sheep sleep sharp」

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