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藤田貴大 特別ロングインタビューvol.5

September 14, 2017

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藤田貴大 特別ロングインタビューvol.4

August 15, 2017

 

 

前回のインタビューではさまざまなコラボレーションを取り上げたが、そこで取り上げなかった作品がある。それはマームと誰かさん・さんにんめ『今日マチ子さん(漫画家)とジプシー』だ。今日マチ子さんが沖縄のひめゆり学徒隊に着想を得て描いた『cocoon』は、マームとジプシーによって舞台化されている。2013年と2015年にそれぞれ上演された『cocoon』は大きな反響を呼び、2015年には全国ツアーも行った。第4回目のインタビューでは初演の『cocoon』から再演の『cocoon』に至る時間を振り返る。

 

 

戦争物に対する距離感

 

――今回はまず、初演の『cocoon』に至る流れから伺えればと思います。2011年秋に『Kと真夜中のほとりで』を上演した翌月にProduce lab 89『官能教育 藤田貴大×中勘助「犬」』という作品が上演されていますね。これは今振り返ると『cocoon』への第一歩という感じがします。

 

藤田 たしかに、『犬』はかなり影響してますね。この作品をやって欲しいという話をくれたのは徳永京子さんなんですけど、『犬』をやってもいいと思ったのは『cocoon』があるからなんです。『cocoon』には“サン”という少女が日本兵に襲われるシーンが出てきて、そこで“サン”が犯されたのかどうかはわからないけど、僕は犯してると思っていて。実際に犯してないにしても、犯してると思うんです。そういうシーンにどうやって向かっていけばいいのか、『犬』をやっている最中にも尾野島さんと青柳さんには話してた気がします。僕の中でタブー化していた強制的な性交というものがあって、『cocoon』というものが何となく念頭にあった時に、それを『犬』でやってみたいと思ったんです。

 
――ちなみに、『cocoon』をやるということはいつ決まったんですか?

 

藤田 『あ、ストレンジャー』の頃に、当時『ユリイカ』の編集長だった山本充さんから「『cocoon』を上演しないか」と言われたんです。僕は書店で働いていた時に『cocoon』を売っていたから、もちろん読んだことはあったんですけど、改めて読み返してみたら「これは絶対に僕が描くべきだ」と思ったんですよね。『塩ふる世界。』で女子が海に走っているシーンではもはや『cocoon』のことを想像していて、『cocoon』に向けてずっと動いていた何年間かでもありました。

 

――『cocoon』の上演に至るまで、すごく慎重に歩みを進めていた印象があります。そこまで慎重にアプローチしたのはなぜですか?

 

藤田 やっぱり、小さい劇場でやれる話ではないなと思ったんですよね。集客的な問題としても、この企画を実現できれば5000人とか6000人以上の集客ができるなと思ったんです。今のはプロデュース的な話ですけど、僕は12歳の時に子役として戦争物に出たことがあって、戦争物に対して抵抗感があったんです。だから、『cocoon』を描くにはどれぐらいの体力が必要なのかわかんなくて。

 

――12歳の時に出演した戦争物はどういう話だったんですか?

 

藤田 東京大空襲の時の話で、『さようならカバくん』という作品です。その作品にかかわっているのは僕以外全員大人だったから、僕が戦争を理解してないという前提で、いわゆる戦争教育をされて。そこで戦争の本を読まされて、ひめゆりの本も読んだし、早乙女勝元さんという人が書いた東京大空襲の本も読んで、とにかく戦争が怖い存在になりました。そこで眉毛が脱毛症になったり、眠れなくなっちゃったんです。本当にトラウマに近い感じがある。それなのになぜ『cocoon』をやろうかと思ったかと言うと、僕は書店で働いていたから、今日マチ子さんがデビューしてからの流れを知っていたんです。今日さんが『cocoon』という本を出して、かなり意外だったんですよね。「何で今日さんはこれを描いたんだろう?」ってレジの中でも話題になっていて、そのことがそもそも気になっていたんだと思うんです。これはマームとジプシーとしても、それまでは伊達という町を描いてきたのに、いきなり沖縄を描くのは突飛なことだと思うんです。だから、僕が『cocoon』を描く前に、それまでティーンの子たちを描いていた今日さんがそれを沖縄に飛躍させたのは何だろうと知りたかった。まずは今日さんがここに至ったことを知りたいと思って、まわりくどく過ごしていた気がします。

 

――今日さんとの作業としてはまず、2012年7月に『今日さんとジプシー』という公演があります。最初はどういうやりとりから始まったんですか?

 

藤田 これは今日さんに限った話じゃないけど、「この公演に向けてこういうイラストを描いて欲しい」とお願いしてしまうと、それ以上もそれ以下もなくなると思うんです。もちろん最初から「『cocoon』をやりたいんです」とは話してましたけど、「『cocoon』をやるまでに色々知っておきたいんです」と変な誘い方をした気がします。

 

 

原田郁子さんとの出会い

 

――その意味で気になるのは、『cocoon』を上演する前の年の秋には、今日マチ子さんや原田郁子さんと一緒に沖縄を訪れたそうですね。さらにもう一度、稽古を始める前に出演者の皆と沖縄を訪れ、戦跡を巡っています。それは別に、「ひめゆりの子たちの足跡を辿ることで、彼女たちの気持ちになってみる」という時間ではなかったと思うんです。でも、だとすればなぜ沖縄に行ってみようと思ったんですか?

 

藤田 別に取材と思っていたわけではないし、『cocoon』という作品で描くことは変わらないわけだから、沖縄に行くことがそんなに影響すると思っていたわけではないんです。でも、僕はそれまで沖縄に行ったことがなくて、一度行ってみたいと思ったんですよね。そこで漠然と思い描いたのは、僕が今まで味わった土地とは違う感覚になるんじゃないかと思ってワクワクしたんです。

 

――藤田さんが生まれ育った北海道とは対極にある土地ですね。

 

藤田 そうですね。沖縄には僕がまったく見たことのない植物があるんだろうなと思ったし、音に溢れている島じゃないかと思ったんですよね。そこに郁子さんと行った時にどういう話になるのかなっていうことは興味があったんです。実際に沖縄に行ってみて思ったのは――これは不謹慎だと思われるかもしれないけど、戦争中とはいえ、いろんな鮮やかできれいな色たちに囲まれていたと思ったんですよね。そういうところにすごくリアリティがあると思った。これは『Rと無重力のうねりで』にも繋がる話なんですけど、死んでしまった人が最期に目にした風景は何だったのか、それ以前から興味があったんです。ただ、『cocoon』を描くということは、ひとりひとりが死ぬ瞬間を描くことは間違いないわけで、最期に目をつむる瞬間に何を見ていたのかは興味があったんです。あと、「最期に聴いていた音は何だろう?」ということは郁子さんと話ましたね。そういうことを想像する時間というのは、東京では過ごせないなと思ったんです。

 

――ちなみに、『cocoon』をやる上で音楽を原田郁子さんにオファーしたのはなぜですか?

 

藤田 2011年の夏にフジロックに行って、グリーンステージの後ろにあるキャンプサイトにテントを建てたんです。そのグリーンステージにクラムボンが出て、朝一番だったからコーヒーを飲みながら聴いたんです。それまでにも原田郁子さんやクラムボンの音楽は聴いていたから、「震災があったあと、郁子さんは水とか海とかっていうものをどう意識するんだろう?」と思っていたんだけど、そのタイミングで「あかり from HERE」も「波よせて」も聴けたんです。それで、その2011年の秋に発表した『Kと真夜中のほとりで』を郁子さんが観にきてくれたんですよね。ただ、郁子さんはもっと純粋に季節のことや人のことを歌っているけど、僕は死んでしまった友達のことや地元の洞爺湖の風景のことを直接的に描いていたから、観てもらったところで頷いてもらえるとは思ってなかったんです。でも、郁子さんは「すごくよかった」とアンケートに書いてくれて。

 

――えっ、口頭で伝えるとかじゃなくて、アンケートに書いてくれたんですか?

 

藤田 そう、アンケートに書いてくれたんです。郁子さんはそのあともマームの作品を全部観てくれてたんですけど、『今日さんとジプシー』を作っている時に「郁子さんに観てほしいな」と思ったんですよね。『今日さんとジプシー』は水というモチーフを描いた作品で、二子玉川駅から羽田空港まで4、5時間かけて歩くところから作品が起こったんです。それは僕の中に「海を目指して歩いたり走ったりするのは一体何なんだろう?」という疑問があって、今日さんを「海まで歩きませんか」と誘ったことがその企画の始まりだったんだけど、特に風景に話すでもなく、羽田までただ歩いたんです。それとは別のレイヤーとして、郁子さん及びクラムボンの音を聴いていると、どうしても波や海を思わざるをえないところがあって、制作の林さんに「この作品は郁子さんに観て欲しい」って話をしたんですよね。ただ、その時点では『cocoon』の話をするか迷っていたんです。郁子さんがこれを観てどういう反応をしてくれるのか探り探りだったんですけど、観終わったあとに「ものすごく風を感じた」と言ってくれて。それで、すぐに林さんを呼んで「郁子さんに『cocoon』の話をしておいて」と伝えて、郁子さんとの作業が始まったんです。

 

 

沖縄をどう描くか

 

――『cocoon』の稽古が始まる直前に、マームとジプシーは『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』という作品で初めての海外公演に出ています。この作品は「悲劇と、それとの距離」を描いた作品ですけど、そのテーマは『cocoon』にも繋がっているように思います。

 

藤田 そうですね。『cocoon』を描く上で意識したのは、沖縄というところの限定的な戦争にしてはいけないということなんです。沖縄に限定された悲劇を描くのであれば、沖縄の出演者と沖縄の演出家でやればいい話かもしれないとも思うんです。沖縄と縁もゆかりもない僕が沖縄を描くのであれば、沖縄だけの問題にしてはいけないと思ったんですよね。世界中に溢れている膨大な悲劇の一つとして沖縄を描くのであれば、僕がやってもいいのかもしれないと思った。僕が最初に沖縄に行ったのは、『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』の北九州公演が終わって、『LAND→SCAPE/海を眺望→街を展望』の稽古が始まるまでのちょっとした合間だったんですけど、あの時期はそういうことを悶々と考えてましたね。それで、沖縄から帰ってきて『LAND→SCAPE』の稽古が始まるんだけど、その時点で『cocoon』のことは念頭にあって、沖縄で買ってきた資料は手元にあったんです。そこで『てんとてん』のタイトルを思いついて、『LAND→SCAPE』の稽古は午後からだったから、午前中に3人の俳優(『LAND→SCAPE』と『てんとてん』に共通して出演する尾野島慎太朗・成田亜佑美・吉田聡子)で『てんとてん』の稽古を始めるんですよね。『てんとてん』のタイトルを思いついた段階で、「どこの話としても通用するありふれた話のようでもあるけど、パーソナルなところにも入っていける作品をやりたい」ということを考えていたんです。そういうことを考えていたのは、『cocoon』のことが念頭にあったんだと思います。

 

――今、「世界中に溢れている膨大な悲劇の一つとして沖縄を描くのであれば、僕がやってもいいのかもしれないと思った」という話がありました。そう思うに至ったのは何がポイントだったんですか?

 

藤田 それは答えに困る質問ではあるし、一つの答えでは言えないことでもあるんです。ただ、一つには震災というものがあって、そこで海というものの見えかたが変わってしまったことがある。僕が伊達の海を描いたとしても、観客の目には伊達の海に見えていなかったりして、水というもの自体が異化していく様子をまざまざと感じたわけです。ただ、沖縄の海になると震災とはまた別の話で、それを見つめながら死んだ人がいたり、そこまでたどり着いたけど「ここが行き止まりだ」と思った少女たちがいたりしたということは、史実を眺めているだけでもわかる。水や海というものが異化していくということは、2011年には震災ということで生じたけれど、実は古代から移ろいがあるわけですよね。

 

――そういう決定的な出来事は、歴史をさかのぼると繰り返し起きているわけですからね。

 

藤田 それに太刀打ちできない人間がいる。それで――これはちょっと違う話になるんですけど、今日さんと郁子さんと僕が似てるなと思うのは、それをどのタイミングで考えていることを発露しようかを探っている感じがあるんです。たとえば「波」って言葉を言うとして、どの場所で言うか、どのタイミングで言うかによって響きが違いますよね。郁子さんがすごいなと思うのは、そのとき一緒にクリエイションしている作品がなくても「今日、ここで『あかり from HERE』をやるんだ」ってメールがくるんです。郁子さんは「何かを表現することは、何かを引き受けてしまうことになる」という自覚がすごく強くて、苛まれている感じがある。どのタイミングでそれを言葉にするか、常に見計らっているんです。僕は郁子さんに及ぶようなことは全然やれてないけど、そのスタンスについて郁子さんから学んだ部分は大きいと思います。

 

――『cocoon』という作品が印象的なのは、大規模なオーディションを実施したことです。しかも、書類選考はせずに、膨大な人たちに会ったわけですよね。その時間も『cocoon』に影響を与えていた気がします。

 

藤田 これは自分でも不思議なんですけど、オーディションの時に自分のモードが決まっていく感覚があるんです。これはオーディションに参加してくれる人たちにも言っていたことなんですけど、オーディションはオーディションってだけじゃなくて、創作の始まりなんです。書類審査をしなかったから、出演者オーディションなのに「出演者じゃなくてもいいから関わりたい」と言う人もいたんですよね。残念ながらその思いに答えることはできないけど、そういうエネルギーに触れてしまうと、すごくチープな言葉になってしまうけど勇気付けられる部分がある。それだけ『cocoon』という作品に問題意識を持って関わろうとしてくれる人がいることを茶化せなくて、だから書類審査は出来ないんです。こういう演目をやるってことで風呂敷を広げたくせに、履歴書でジャッジするなんて、演劇作家以前の問題意識としてナシだと思ったんです。だからこの時期、制作の林さんに「もう二度と書類審査とか言わないで。『書類審査する?』って質問もしないで」と言った記憶があります。

 

 

2013年の『cocoon』

 

――そうしたオーディションを経て出演者が決まり、稽古期間を経て初日を迎えます。『cocoon』はそれまでの作品に比べて長丁場で、多くの観客に観てもらうことになりました。上演期間中、藤田さんはどんなことを感じてましたか?

 

藤田 やっぱり、異様でしたね。当日券にものすごい行列が出来て、一気に集客が跳ね上がったんです。予想をはるかに越えるくらい。そこには今日さんのファンもいれば郁子さんのファンもいて、あとは「夏だし、戦争だし」みたいな感じで観にきているお客さんもいたんですけど、とにかくそれまでマームを観ていたお客さんじゃなかったんです。ただ、僕はすごく悶々としていたし、意識が朦朧としてました。zAkさんのスタジオで郁子さんと一緒に朝までレコーディングをして、そこから家に帰るとお金がかかるから、池袋のホームレスたちと一緒に朝を迎えるんです。そうやって東京芸術劇場が開く10時まで待って、稽古を始める。そういう生活が3週間ぐらい続いたんです。これは毎年言われることだから、何が記録的なのかわからないけど、あの年は記録的な暑さだと言われていたんです。だからめっちゃ暑かったはずなのに、暑かった思い出が一つもないんですよね。

 

――暑い時間帯はずっと劇場で稽古をしていたから、暑さを感じるタイミングがなかったわけですね。

 

藤田 初演の『cocoon』は本当に精一杯だったんです。これは橋本さんも記憶にあると思うけど、あの時母親が観にきたんです。それで、母親と僕と弟の恭平君と橋本さんでなぜか飲みに行きましたけど、その時に話したことをすごく憶えてるんですよね。僕の母親は、僕のばあちゃんから「男性に犯された場合、舌を切って死になさい」と聞かされて育ったんです。だから、母親は僕に――恭平君のほうが男の子っぽかったのか、僕にというよりは恭平君にだったんですけど――「あなたが女の子を犯すようなことがあれば、私はあなたを殺して死にます」と言っていたんです。それで、あの飲み会の時に恭平君が「母さんはああいうことを言ったよね?」と聞いているのを目の当たりにした時に、「僕はこの作品を母親に観せたかったんだな」と思ったんですよね。僕の中には、母親からの評価がずっとある。戦争というものを描くことに対する責任も負っていたし、「今日さんの顔を汚してはいけない」とか「郁子さんの歌がよく聴こえるべきだ」とかってことも考えていたし、2013年の日本にとっての戦争を描きたいという欲もあったんですけど、あの飲み会の時に「僕は結局母親に認められたかったんだな」と思ったんです。戦争ということ以前に、自分が女性性にどういうスタンスでいるかということを母親に観せたかったんだと思います。

 

――2013年の初演が終わると、2年後に再演が控えています。『cocoon』を再演するということはどのタイミングで決まったんですか?

 

藤田 初演が終わったタイミングではまったく決まってなかったですね。劇場側からは即座に「再演しないか」という話をもらっていたんですけど、その時は率直に断ったと思います。ただ、2013年の年末に珍しく忘年会ってものをしたんですけど、そこに今日さんと郁子さんも来てくれて、そこで「反省会をしてみようか」って話になったんです。その段階でもまだ再演ってことを考えてはいなかったんですけど、「まだやれたことはあったかもね」「全然終わってないよね」という話をぽつぽつ話し始めるんです。そうやって何か引っかかっている感触が、『cocoon』を終えた夏から冬にかけてしばらく続いたんですよね。

 

 

川上未映子さんと「まえのひ」

 

――まさにその時期、『cocoon』が終わった翌月には『初秋のサプライズ』という公演があります。これは川上未映子さんの詩を扱ったリーディング公演です。前回「『小指の思い出』で初めて他人の書いた戯曲を扱った」という話がありましたけど、藤田さんが誰かの言葉を扱うのは『初秋のサプライズ』が最初のことで、『小指の思い出』より1年以上前のことです。

 

藤田 そうですね。これは一生言い続けることだと思いますけど、全部を、自分以外の人の言葉でやったのは未映子さんの言葉が初めてなんです。このタイミングで未映子さんの言葉を扱えたのはすごく良かったですね。僕が大学生の頃に未映子さんの最初の詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』が出て、これはもう新しい言葉だなと思ったんです。それまでいろんな文章を読んでましたけど、あの詩集はかなり打ちのめされたんですよね。それを書いた未映子さんが僕の劇を観にきてくれるようになって、『初秋のサプライズ』で「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」を扱うことになった時に、「僕が大学生の頃に聴いていた音楽でやろう」と思ったし、詩というものをライブという状態に持って行こうと思ったんですよね。

 

――この『初秋のサプライズ』は、『cocoon』で主人公の“サン”を演じた青柳いづみさんによる一人芝居でもあります。

 

藤田 そうですね。『cocoon』を上演したのは東京芸術劇場のシアターイーストでしたけど、2013年の僕らにとってはシアターイーストは大きな会場だったんです。それまでSTスポットやこまばアゴラ劇場でしか作品をやったことがなかったから、いきなりシアターイーストでやるのは大変だったんだけど、そこで青柳さんがムカつくことを言うんですよね。何かの飲み会の時に、離れた席で「大きいことをやろうとしている演出家はきっかけや見え方ばかり気にし始めて、役者と関わらなくなる」と言っているのが聞こえたんです。その言葉にカチンときたけど、的を射ているところもあって、それをこの公演で厳しく正せた気がします。「まえのひ」という作品の稽古をしていた時に、青柳さんを脚立の上に立たせたんだけど、青柳さんが怖がって飛び降りないんです。それを見てすごくイライラしたんですよね。未映子さんのテキストは、ものすごく切羽詰まった文章だったんです。「まえのひ」という詩は戦争のことや震災のことを直接的に語っているわけではないんだけど、崖っぷちに立っている存在がいて、そこから飛び降りるかどうかのきわきわのところで書かれている。「その感触に青柳さんはピンときてないのかもしれないけど、これは『cocoon』とやっていることは変わらないよ」ということを初演の直後に話せたのは良かったなと思います。

 

――その「まえのひ」という詩は、『初秋のサプライズ』に向けて書き下ろされた詩です。その作品に向けて、未映子さんとはどんなやりとりがあったんですか?

 

藤田 未映子さんはマームの舞台をすごく丁寧に観てくれて、『cocoon』ももちろん観てくれたんですけど、そこで「何かが起こるまえのひって言葉が浮かんだ」と言っていたんです。そこで「まえのひ」って言葉が出てきた時に、そうだよなと思ったんです。これはインタビューで説明できることではなくて、未映子さんの言語感覚や世界との対峙のしかたにかかわってくる話だと思うんですけど、「まえのひ」というタイトルを聴いた時は言葉が強くて一瞬でゾッとしましたね。

 

――たしかに、その言葉ですべてが言い当てられる強さがあります。2013年の秋に『初秋のサプライズ』を上演したあと、翌年の春には『まえのひ』ツアーで全国を巡っています。いわきに始まり、松本、京都、大阪、熊本、沖縄、そして新宿で上演しましたけど、それぞれの土地で「まえのひ」という言葉の響きも違っていたと思うんです。

 

藤田 それも面白かったですね。未映子さんから「まえのひ」って言葉をいただいた時のインパクトは僕の中で強くて、その時点で「これは素晴らしいな」と思っていたんです。でも、ライブ表現として各地でやっていった時に、「まえのひ」っていう言葉のありかたがどう違っていくかということを観てみたいなと思ったんですよね。前回のインタビューでも少し話しましたけど、「この言葉を響かせたい」とか、「この言葉に何を引きつけることができるか?」ということを演出家は編集していくんだと思うんですけど、それに当てはまらない場合もあることを見れた気がするんです。いわきで言う「まえのひ」と、沖縄で言う「まえのひ」は違っている。さらに言うと、これはすごく嫌な言いかたになるけど、近年インパクトのある出来事のなかった土地のほうが多いわけですよね。そこで「いわきでは『まえのひ』という言葉がそうやって響いたのに、どうしてこの土地では響かないんだ」ということになってしまうと絶対に駄目だと思っていたんです。だから各地で演目をズラしていきたいと思ったんだと思います。そこに関しては今の僕のほうが器用に動かせる気がするから、来年の「MUM & GYPSY 10th ANNIVERSARY TOUR vol.2」は本当に楽しみです。

 

 

ありとあらゆる喪失をどう捉えるか

 

——言葉の響きということで言うと、『cocoon』の初演のあと、2013年の11月に『モモノパノラマ』という作品があることもすごく大きい気がするんですね。『cocoon』は戦争というモチーフを扱っていて、大きな話として受け止められがちだと思うんですけど、『モモノパノラマ』は藤田さんの実家で飼われていた猫のモモが亡くなった話で、彼女もまたひめゆり学徒隊の子たちと同じぐらいの年齢で亡くなっています。その二つの死があるなかで、一方の死は大きな話として受け止められて、一方は極私的な話として受け止められる。その二つの作品を往復するなかで、「これは一体何が違うんだろう?」ということを藤田さんは考えたんじゃないかと思うんです。

 

藤田 それは今も考えています。でも、人間が死ぬより悲しいからね。人間に死なれる悲しさもわかってるけど、ああいうまなざしをした生き物が死ぬのはつらいですね。そうなってくると、死を扱うレベル設定がわからなくなって混乱しました。僕の中ではモモの死のほうが作品のなかで扱っているどんな死よりもわかるんです。もちろん倫理観を引き合いに出せば人と猫だし、それは違うのかもしれないけれど、やっぱりモモの死のほうがわかる。そういうことを悶々と考えていて、この時期は死生観みたいなことについて混乱していましたね。どこに自分の悲しさを置けばいいのかわからなくて。

 

――死というものは、等しく受け取られないところはありますよね。クローズアップされる死もあれば、人知れず流れていく死もある。その差について、この時期の藤田さんは考えていた気がします。

 

藤田 「マームとジプシーは感情を描いているから受け付けない」と言われることもあるんだけど、悲しいってことだけで、これは酷かったっていうことだけで完結するのであれば、作品なんて作らなくていいと思うんです。それと同じように、「沖縄で亡くなった子たちの悲しみを伝えたい」ということだけなのであれば、作品なんて作らなくても伝えられると思うんです。あるいは「愛猫が死んだ悲しみを伝えたい」ということであれば、作品を作らなくても伝えることができると思うんですよね。でも、作品として描くためには、それをもう一皮超越しないと描けないんです。たとえば、あの時原爆を投下した人がいるとして、その人は人を人として見てなかっただろうし、人の死を人の死として捉えてなかったんだろうと思うけど、「作品として描くのであれば、その視点のこともわからなくちゃいけないな」と思ったんです。その視点のことなんてわからないんだけど、わからなくちゃいけないと思った。それは仕事として辛いんだけど――いや、『cocoon』は辛いですね。これは冗談のように言ってきたことですけど、やっぱり殺し方を選んでいる自分がいるんです。演出家というのは、「どうやって殺せば演出的にインパクトがあるか」、「どのタイミングで音楽をかければ、この死が鮮やかに伝わるか」を考えないといけない立場なんです。それは戦争反対っていうそれだけのシンプルな考えだけじゃつくれないんです。そこをある程度平らにして物事を見つめていかないと、描いていることが自分の中で保てなくなっちゃったんですよね。

 

――そのバランス感覚の変化は、『cocoon』の翌年に上演された『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、 そこ、きっと──────』や『Rと無重力のうねりで』といった作品に影響していた気がします。これらの作品は、伊達という町や、その町における喪失を描きながらも、それまでよりも俯瞰している感触がありました。

 

藤田 自分がやらなきゃいけないバランスはわかっていたつもりなんですけど、人が死ぬってことと家が死ぬってことはどう違うのか、自分の死生観をどこまで等価にできるのかは葛藤してましたね。特に『ΛΛΛ』と『R』は葛藤していた気がします。ありとあらゆる“生命”があるなかで、等しくないものをどこまで等しくできるのか、葛藤し続けていた気がします。

 

――それまでの藤田さんの作品でも、たとえば『あ、ストレンジャー』で青柳いづみさんが銃を撃つシーンはありましたけど、『cocoon』では本当に、ひとりひとりの死に様をどう描いていくかを考えたわけですよね。それもきっと、大きく影響したんでしょうね。

 

藤田 死ぬ前に見る風景がブラックアウトなのかホワイトアウトなのかはわからないけど、その風景を見たことなんてないのに、演出家や劇作家はいとも簡単に死を描こうとしますよね。その出来事のシビアさを全然知っていないのに、それを描くというのはどういうことだろう。そういう劇作家の言葉を語る俳優っていうのは何なんだろう――そういうことを含めて、この時期は混乱してましたね。

 

 

記憶を描く/未来に託す

 

――『てんとてん』であれば、9・11のことが語られるシーンがあり、初演の時であれば地震と津波のことにも言及されます。あるいは、『カタチノチガウ』であれば、「町の大部分は、おおきな洪水で流されてしまって、このお屋敷だけが取り残された。洪水のあと、まもなくして、戦争が始まって、町の大半は焼かれてしまったけれど、このお屋敷は丘の上にあったから、戦火を免れた。わたしはだから、ひとりだけ無傷で、町でなにが起こっても、ひとりだけ無傷のまま、なんともない『平穏』な日常を過ごせていたというわけだ」という台詞が語られます。こうした台詞というのは、この時期に藤田さんが考えてきたことが直接的に反映されている気がします。

 

藤田 そうですね。『カタチノチガウ』のその台詞は、ほんとうに僕自身のことなんだろうなと思います。小高い丘の上からいろんな出来事を俯瞰して――当事者としてではなく、その悲劇を上から見下ろして――作品に描いてしまっているけど、「ほんとのところ、お前ってどういう人間なの?」という自分に対する怒りみたいなものがあったんでしょうね。

 

――さまざまな悲劇を扱う作品が続くわけですけど、その一方で、演劇というのは今この時間に生き延びている人を相手に上演されるものですね。そのことを突き詰めて考えていくなかで、直接的に何かに言及することはないにせよ、「今という時代とどう向き合うか?」を藤田さんが考えるようになっていった気がするんですね。その点については、『カタチノチガウ』の頃はどんなふうに考えていましたか?

 

藤田 『カタチノチガウ』の時、初めて「未来」という言葉を扱ったんですね。初演の『cocoon』から2年近く経っていて、それまでは「自分は記憶を描く作家だ」と言い張ってきたけど、記憶を描いているということは記憶に留まっているわけではないということはもうわかっていたんです。その上で、自分の身近な未来に対して、「日本がこうなる」とか「世界がこうなる」とかっていう不安は日に日に押し寄せてきて。『カタチノチガウ』は、その不安みたいなことを直接的に描かないにしても、比喩を用いて描き始めたんだろうなと思います。しかも、その作品は伊達をモチーフに描くのではなくて、作り物の町みたいな状態で描きたくなった。その心境の変化は急激なものだったと思います。今、自分の作品の流れについてだけ話しているようになってしまっているけど、そういうことではないと思うんです。やっぱり、2010年代というのは、90年代やゼロ年代とは違う語られかたをすることになる気がします。それまでとは考えるべきことが全然変わってしまった気がしますね。

 

――その変化は何だったのかを考えるためにも聞いておきたいのは、その「未来」という言葉のことなんです。それまでは過去を、記憶を描いてきた藤田さんが、ここで急激な心境の変化があって「未来」という言葉を使うに至ったのはなぜですか?

 

藤田 2011年の頃は「震災があったからこんなことになっているんだ」とたぶん思っていたんです。たとえば、いわきの子たちとかかわることを難しくさせているのは、震災というものがあったからだと思っていたんです。でもね、震災以前も以降も、結局のところ何も変わってないんだと思うんです。それは震災ということがあったからわかりやすく顕在化してるけど、震災がなくたってそうなっていた気がする。そういうことに気づき始めていて、それに対して腑に落ちない気持ちというのが『カタチノチガウ』で爆発したんだと思います。

 

――今の藤田さんはまた違うモードに切り替わってますけど、あの時期は「託す」ということについて考えてましたよね?

 

藤田 そうですね。たとえばあの戦争のことについて語り継がれてきたことがある。それを託されるわけだけど、僕がいくら考えたところで、一生考えても考えきれないことはある。だとすれば、僕もまたどこかのタイミングで託すことになるだろうなと思ったんですよね。あと、託すということについては、蜷川さんが初演の『cocoon』を観にきてくれた時にも思ったんです。この人は託すしかないところにまでたどり着きつつあって、自分が見てきたことや聞いてきたことを伝えたい目をしていたんですよね。その目を見た時に、僕が今こうやって託されているということは、僕もいずれ託すことになるんだろうと思ったんです。今の世界にある暗闇みたいなものは、たぶん僕の世代で終わることではないんだろうなってことも考え始めたんだと思います。

 

――『cocoon』は2015年の夏に再演されることになりますが、その前段階として、2015年の春には『cocoon no koe cocoon no oto』というリーディング・ツアーが行われています。これは原田郁子さんと藤田さん、それに青柳いづみさんによるどさまわりのようなツアーで、『cocoon』の上演が予定されているすべての土地を訪れるツアーでしたね。

 

藤田 これは僕がプッシュしてやることになったツアーなんです。さっきも言ったように、『cocoon』を再演するつもりはなかったんです。でも、郁子さんと会うたびに「再演したほうがいいかもな」と思い始めてきて、ぽつぽつ作業を始めるんです。それで、このリーディング・ツアーは郁子さんと音を探りたかったんです。『cocoon』の本公演として、作品として完成したものを発表するだけじゃなくて、その前段階として音楽のセットリストを作るような気持ちで旅をしたいと思ったんです。しかもあのツアーは僕と郁子さんのトーク込みで、「本公演でどういう音を流そうとしているのか?」ということも伝えたかったんですよね。上演時間の2時間だけを見せるんじゃなくて、そこまでにも考えているプロセスがあって、その先も伝わって欲しい時間があるという奥行きを見せたかったんだと思います。

 

——2015年の『cocoon』に向けて、改めてオーディションがありましたよね。そこで出演が決まった皆もリーディング・ツアーの沖縄公演を観にきて、その皆とまた沖縄を巡りました。そうやって沖縄を再訪したこともまた、再演の『cocoon』に影響を与えた気がします。

 

藤田 準備期間としては2013年のほうがありましたけど、2015年のほうがいろんな場所をじっくり見ていた気がします。これは誰に向けて言っているわけでもないけど、いくら知った気でいても知ってないなと思いますね。やっぱり、行けば行くほど見えるものは違うわけですよね。本当であれば、80年間その土地に住んでみてようやく知ることがある。「作品を描く上で数日間訪れてみたところで、知れることは本当に断片でしかない」ということを再演の時は考えましたね。それは『cocoon』を再演した今も、まだ描けてないんじゃないかということはたくさんあります。改めて再演したいとは、まだまったく思えてないんですけど。

 

 

2015年の『cocoon』

 

――『cocoon』を再演したのは2015年で、戦後70年という節目の年でした。もちろん「戦後70年に向けて」ということで上演がなされたわけではないですけど、あの年の夏ということは嫌が応にも意識させられるものはあったと思うんですよね。しかも、2013年は東京芸術劇場だけで上演したのに、2015年は全国をツアーしたわけです。あの夏にはいろいろなことがあって、さっき『カタチノチガウ』の話の流れで「託す」ということについても話がありましたけど、あのタイミングで『cocoon』を上演することに何か期待している部分はあったんじゃないかと思うんです。  

 

藤田 それはその通りです。別にメモリアルな年に向けて『cocoon』をやったわけじゃないですけど、ツアー先のホテルでテレビをつけるとそういうことが語られていて、僕たちがいくら「そこは意識してません」と言ったところでお客さんがそういう目になっていたところはある。だからやっぱり、ツアーに出てみるとそこは意識せざるを得なかったです。ただ、あの劇を観にきてくれるのはよっぽどなことだと思っていたんです。僕は戦争物っていうのが怖かったし、たとえば手塚治虫の漫画を手に取るにしても、『火の鳥』は開くのに体力が要りますよね。それと同じように、『cocoon』という作品を観るためには「マームとジプシーが好きだから」ってだけのモチベーションでは観れない気がしたんです。少なくとも僕の感覚ではそうなんです。わざわざ戦争物を手に取るためには動機が必要で、娯楽というレベルでは観れないと思うんですよね。ただ、演劇公演というのは「マームとジプシーが来てるから、せっかくだから観に行こうか」とか、「良い作品だと騒がれているから観てみようか」ということになりやすいところもあって。

 

――そうですね。映画や小説と違って、その時を逃すと二度と目撃できないですからね。

 

 

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藤田 そういうことがあるにせよ、戦争物だということは伝わっているだろうなと思ったんです。観にきてくれたお客さんたちが作品に向けてくれるまなざしを、僕は客席の後ろから観た。そこには泣いている人もいれば怒っている人もいて、何も思っていないような人もいたけど、「この経験をしにきたってことは一生忘れるなよ」と思ったんです。あのツアーはものすごく集客できたツアーで、それはつまり、「『cocoon』という作品を観に行くという手続きをしてくれた人たちがそれだけいたっていうことですよね。上演されたものに対してはそれぞれ思うことがあるだろうけど、あの作品を観にきてくれた人たちの意志は嬉しかった。だから今、辛いです。結局のところ何も変わらなかったなと思って、結構辛かったですね。

 

――『coccoon』という作品を上演して、それを観にくるお客さんがいる。それによって何かが変わるんじゃないかということに、それだけ期待してたんですね。

 

藤田 すごくチープな言い方になってしまうけど、その会場に関しては平和のイメージだったんです。別に平和を謳って公演をやっているつもりはなかったけど、あの作品を観るために劇場に足を運ぶってことは、少なからずそういう意志のある人たちがいたんだと思えたんです。でも、そこから2年経った今、あの公演って何だったんだろうと思わざるを得ないんですよね。その気持ちが『sheep sleep sharp』に繋がっていくんだと思います。

 

 

 

【写真】

飯田浩一:「官能教育第四弾藤田貴大×中勘助『犬』」「マームと誰かさん・さんにんめ今日マチ子さん(漫画家)とジプシー」

「cocoon(2013)」

橋本倫史:「初秋のサプライズユリイカ(青土社)×川上未映子×マームとジプシ─」「モモノパノラマ」「カタチノチガウ」

「cocoon no koe cocoon no oto」「cocoon(2015)」

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