
藤田 夢に、お父さんが出てきてますよね。お父さんが名古屋にいたというのは聞いたんですけど、お父さんってじゃあどういう人だったんですか。
林 父は、戦争に行っていました。自分の父親も早くして亡くして、長男であるお兄さんも戦死しているので、次男だった父が、一家を守らなければという意識が強く、そのために力を注いだ人でした。本来はもうちょっと自由にいろいろできたはずなのに、奇妙な正義感があり、みんなほとほとどうでもいいようなことでも真面目にやったりする人でした。それを僕がそのまま受け継いでいますね。それから、あとはやっぱり人を想う心が強かったですね。だから、そういう状況じゃなかったら、もっといい加減に生きられて、幸せだったかもしれない。昔の人は結構厳しいから、僕もそれをやっぱり受け継いでて、ついつい他の人に厳しく言っちゃうところもあって、ちょっと反省してます。それから、父は旅行が好きで、そんなに自分から行こうって言う人じゃないけれど、地図を大事にしてよく旅行の話をしていました。
藤田 仕事は何をしてたんですか。
林 仕事はタイヤの販売会社に勤めていました。はじめ、電気自動車がこれから流行るって戦後言われていて会社に入ったけど、電気自動車屋はみんな潰れちゃって。それで、タイヤの販売会社につきました。
藤田 戦争の話はきいたことある?
林 いやあ、聞けなかったなあ。ちょっと。
藤田 お父さんも喋ろうとしなかった。
林 喋ろうとしなかったです。
藤田 そうなんだ。
林 これ問題だよ。よく戦争行ったから優しくなったって人はいっぱいいるけど、その理由は聞けないよね、なかなかね。聞いたら聞いたで、はぐらかされるかもしれないけど。
藤田 お母さんはどういう?
林 母は、田舎の方かな。お百姓さんをやってる人が多い地域に育って、母の家は親が国鉄に勤めていました。ずっと国鉄に勤めてる人だから、権威的だよね。今のJTBとかJRとか、未だに税金を使ってるでしょう。ああいう感じで権威主義でね。そういうところがあるから、僕はあんまり好きじゃなかったんです。母はこまめに手仕事、七宝とか趣味でいろいろやるんだけど、それをうまく活かせなかった。銀行に勤めたんだけど、その時に新聞社の人からカメラマンにならないかって言われたことをずっと自慢に思っていた人だったよ。ならずに、やっぱりその当時は女だからって、自分を殺して生きていましたね。
藤田 お母さんとお父さんはどこで出会ったんですか。
林 お見合いで。
藤田 ご両親とお別れしたのは、林さんがいくつの時ですか。
林 父は2015年。母は2年前。二人とも80歳こえて、じゅうぶん。
藤田 それは、名古屋の病院で?
林 はい。父の時はだいぶんこたえました。もう、家にいられないというか、バスにも地下鉄にも乗れなかった。どこまでも歩いていかないと。もう、悲しくてしょうがない、歩くしかない、って感じでしたね。母のときは大丈夫だったんですが。
藤田 そうなんだ、不思議ですね。
林 親のいいとこばっかりじゃなくて、悪いとこも見ちゃうからね。10何年間くらいは親と一緒にいるんだから。だから、親との関係が悪い人って大変だなと思う。
藤田 お父さんが夢に出てくるんですね。
林 というか、今も支えてもらってるという感じがするから。死んでからも、なんか僕が問いかけていて「こういう時はどうする?」って自分が聞いてるから、出てくるんだと思うんです。そういった方、夢に出てきますか。
藤田 出てこないですね、誰も。
林 僕もそんなに出てくるってわけじゃないけど、ちょっとした思い出が出てくる感じで。でも僕らの時代は、家というものはやっぱり自分をがんじがらめにしちゃうもので、そこからいかに抜け出すかっていうことを考えていました。エレキギターを手にしただけで怒られる感じ。
藤田 だけど、アメリカが好きだった?
林 そうなんですよね。あれがね。
藤田 今聞いた感じからだと、不思議だよね。
林 そうだよね。でも、ほとんどの日本人がそうだったんだよ。外国でもそうだよね。フランスも、ドイツも、ソ連でもね、アメリカが好き。ポピュラーソングが聴きたい、ビートルズが聴きたい。だけど、価値観がアメリカじゃないんだよね。いわゆるグローバルでないっていうか。なんでかなと思ってました。

藤田 糺ノ森についても頻繁にTwitterに書かれてますよね。ちょっと調べたんだけど、糺ノ森ってこの辺一帯のこと――
恵子 そうそうそう。もう原生林。昔っからの。ほんとうに貴重なものいっぱいあるし。だけど今後は開発するけどね。
藤田 このデルタというか、賀茂川と高野川が合流するこの一帯の原生林のこと。
林 だから、もっと昔は小川が流れていました。森と小川の一帯で、もっと湿気てた。そういうところです。神社と森には憧れますよね。

藤田 最近、“窓”についてもTwitterに書いていますね。
林 窓ね。
藤田 僕も最近、『かがみ まど とびら』という作品を製作したり。なんかその、鏡と窓、そして扉って、この四角いフレームで空間って構成されていて、しかもそれぞれが内と外を繋ぐものだなって思って。いろんな作品でもモチーフにしてるんですけど。
林 窓と、扉と、鏡ってのは、映像としても、昔からついてるね。鏡は映るから自意識みたいなことで、窓は外と内、扉は違った次元というか。その3つを利用して、空間と作品はつくられてると言ってもいいくらい。その3つで、美術評論というか、それができそうな感じですよね。若い頃は、鏡に興味があったけど、だんだん窓にきて、だんだんだんだん扉に行くのかなあ。やっぱり自意識っていうか、鏡って。最近鏡見ないもん。
藤田 たしかに。
林 昔はよくみてたけど。あんまり外観が気にならないってこともあるけど。次、窓いって、次があれかな、扉。老いの扉は死の扉。
藤田 鏡を見て、これが自分だって認識するのっていくつぐらいなんだろう。
林 どうでしょうね。鏡って、水溜りとかガラスとか、鏡じゃないものも鏡の役割を果たしますよね。
藤田 そうですね、反射ですね、reflection。
林 窓だって鏡になるしね。そして、扉だって鏡になる。
藤田 鏡を手に入れようとした人ってすごいですよね。
林 そうですよね。
藤田 だって自然に転がってるものだってあるわけだから。
林 だから、よく自分に似たようなひとに会うと、鏡を見てるみたいという表現だってできるしね。だから、例えば花を見て、自分だと思ったら、それは鏡を見てますよね。鏡はあらゆるものになりやすいというか、分身というか、そういうもんだから。僕も高校くらいの時に文学的な作品をつくろうと思ったことがあったんです、鏡をモチーフに。タイトルは、「鏡のエチュード」。文学的だったのかどうかはわからないけど。でも最近は窓だね、やっぱり。
藤田 なんで、窓なんですかね。
林 やっぱり、自分のことなんかどうでもいいんですよね。だって、鏡っていったら、結局世界が自分になっちゃう、花を見ても鏡だと思うのであれば。でも、そうじゃないってことに気づいたんです。世界が自分とは別なんだと気づいたら、やっぱり窓の方が大事っていうことなのかもしれない。だから、まだ未知なものはあるってことですよね。まだ見たいものはあるし、まだ聞きたいものはある。まだ終わりじゃない。
藤田 ヨーロッパに行った時、やっぱり窓は面白いですよね。日本とまた全然違うし、アーチになっていたり。小窓が多かったりとか。
林 あともうひとつ、窓は光を入れるってことですよね、ちょっとした小さな窓でも救われることがあるし、大きい窓は開放的に思うことがある。
藤田 扉はでもたしかに、身体が伴うというか出ていくか入ってくるかどっちかだから。現実感があるのかも。
林 僕が若い頃、サイケデリックとか流行った頃の扉はね、(バンドの)ドアーズ。
藤田 ドアーズ。知覚の――
林 ドラッグで知覚の扉を開く、みたいな意識があったけど、僕はやっぱりあの時から鏡派で、そして窓派に向かう。扉はまだですね。
藤田 扉はたしかに、強いのかも。
林 なんだか、ドアを開けて行くぞ、開けたら違う私になって次のステージだっていう強い印象がありますよね。

藤田 糺ノ森って、あの字って、糸にーー
林 “ただす(糺)”っていうのは、正しいじゃなくて元に戻す、取り戻すという意味。
藤田 戻す、取り戻す。
林 何も変えちゃいけないってことです。正しくするんじゃない、何も変えちゃいけない。あるがままで。

藤田 こないだ水についても言っていましたよね。京都の地下水は琵琶湖並の水量があるから、ここは浮かんでいて孤島かもしれない、という。水というのも、ここ数年、僕の中でテーマになっているんですよね。ここのおうちに、住み始めて――
林 40年。
藤田 40年。けっこう水害とかもあったと思うけど。
林 ここはあんまりないんです。
藤田 ないんですね。
林 あるとしたら京都駅の方で。
藤田 何年かに一度くらいの頻度で、京都の水害のことを耳にするけど。
林 でも、もしここで水害にあっている時は、京都タワーは水に埋もれているはず。北山通りと同じ標高だから、ここまでだったら京都タワーはもう見えない。
藤田 そんな極端な話になるのか。でも、そうですよね。
林 傾斜になっている。だから安心して暮らしています。
藤田 自転車でここまで京都駅から来るんだったら、かなりの坂を登ってくるということになるんだ。
林 行きは調子がいい。口笛吹いてさ、今日はいい天気やー、気持ちいいなあ、って。
藤田 そうかそうか。
林 京都にきたばかりの時はね、タルコフスキーの映画の世界だと思ったんですよね、水の。こんなのが、あるんだなと。ということはこれは、世界中にあるんだなと思った。こういう水と人とが。
藤田 密接に。
林 そうそう。まあ当たり前だけど。水から霊感を受ける人は少ないと思うけど、僕みたいに水から感覚的なことを受ける人も少ないと思います。水がないから困ったとかそういう人は多いけど、水はもっと神聖なものだと思う。水の精とかいう話あるじゃないですか。水から出てきた美女に引き込まれたりとか。
藤田 けっこう多いですよね、童話にも。そういう話。
林 金の斧、銀の斧とか。水もどっちかといえば鏡に近いから、再生したりしますよね。水で生き返ったりとか。それから、水で死んでしまったりも。
藤田 ちょうど50年経ちますね、京都にきてから。
林 そうそう。
藤田 半世紀。
林 水があったから。
藤田 水。
林 水がなかったら。それから、ここに住んだことかな。

藤田 下鴨神社・糺ノ森のこのあたりなんて。ほとんど僕らからしたら境内の中の人しか住めないようなところに住んでるから。だってこれさ、知らずに来たら関係者だと思うよね、この立地って。
恵子 ああ、社家とかあるけど。
林 こんなとこ住めるのかって。
藤田 思いますよね。先月と今月、京都に来てみて、徐々に新しい作品が頭のなかに浮かんできてるんですよ。林さんが、「ここはほんとに、もしかしたら島なんじゃないか」って話してくれた、あの言葉が僕の中に響いていて。
林 じゃあ次の作品は「アイランド」かな。タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、最後は水に囲まれる、水に囲まれてるっていうことが島の。京都にいても、水に囲まれてる。水って意識があるのかもしれないね、僕の中で。水が流れてるのとか、川があるとか。囲まれってるっていうか。島ってあれ、浮かんでるっていうもんね。ほんとは浮かんでない。
藤田 たぶん、地下、深海で陸地が繋がってますよね、こう。
林 でも浮かんでるっていうんだよね。水が鏡だったら鏡に囲まれてるみたいなことでもあるし。みんな海に行って考える人いるじゃないですか。僕はあまりやらないけど。海や川をみたり、水をみてる人ってそういうことなのかな。
藤田 鏡を、か。なるほど。
林 鏡をみてるのかな、どうかな。一回無人島に行って、1ヶ月くらい過ごしたほうがいいんじゃない。

藤田 そういう発見があるのかな。でも海ってそもそも空を鏡みたいに映してるから、あの色ですもんね。海自体に色はないわけだから。
林 水の色っていったら、みんないろいろ思い浮かべるよね。水色っていったら多分、クレヨンとか色鉛筆の水色を思い出すけど、水の色っていったら、水って透明だから。
藤田 ない。ないはず。
林 それなら、夕日がとても綺麗だったから水の色は赤です、って言う人もいるかもしれない。だから水の色って質問をしたら、けっこうわかんないですよね。
藤田 海の色が不思議なのは、例えば川ももちろんそうなんだけど、水面はあんなに激しく動いてるのに、ちゃんと動いてる最中も青色を保つじゃないですか。あれが本当は海の色じゃないとして、どんだけ細かい反射をしてるんだろうなって小さい頃から思ってましたね。色の理屈はもうずっとわかってたんだけど。本当は海だって透明で、空を反射して、あの色なんだけど、あんなに波は動いても、波の細かいところまで――影になってるところまで青い。
林 光学的なああいう、レインボーの、ああいう類だよね。
藤田 視線と、光が目に入ってくる入射角。
林 光なんだよね。
藤田 全部、光。だからどの海も色が違うというのは、納得というか。たしかにその土地の気候、湿度で全然空の色は変わってくる。空の色が変わってくると海の色も違う。
林 そうですね。光か、そしたら。

藤田 この50年、京都に住んで、印象的だったことというか。
林 やっぱり僕はそんなにないけど、デルタの水が氾濫する時が。ちょっと。
藤田 え、でもさっき!
林 あるんですよ。自分を囲んできた水によって、自分が殺される、じゃないけど、敵になる。親しいものが脅威になるという感覚ですかね。
藤田 氾濫したらまずいんじゃないですか。
林 そういう時あったからね。京都タワーはまだあったけど、あのへんの四条とか界隈は。
藤田 橋が流されたりとか?
林 流されそうなくらいになるから。大体、2つの川が一緒になるんですもん。
藤田 でも、あのデルタすごい好き。いっぱい大学生みたいなのがいる時は好きじゃないけど、すごいあそこ気持ちいい。合流地点。
林 あそこパワースポットになってますよね。
藤田 絶対そうですよね。自分に霊感があるとは思わないんですけど、多分人から言わせればそれは霊感だっていうことは結構あるんですよね、僕。戦跡を巡っていても、右耳の耳鳴りがエスカレートしたり。小さい頃から、今日の帰り道はこの道を通っちゃいけないと直感的にわかる道があるんですよ、必ず。この道を通って帰る、と消去法で導き出すんですよね、夕暮れになると。「今、ここは行っちゃいけない」って、もやがかってくるイメージがあって、その霧みたいな靄(もや)が教えてくれるんですよ。でもこれもなんかイメージの話だから、このことを霊とは思わないんだけど。デルタに座っていると、感覚レベルの感触が気持ちよく身体に伝わってくるんですよね。ホワイトノイズが、シャーって巡るというか。
林 心地よい場所と、心地よくない場所みたいなのが、ここは。
藤田 ありますか。
林 あります。
藤田 下鴨神社・糺ノ森なんて、そもそもパワースポットですよね。
林 そうですね。
藤田 木の感じから言っても。そう、それ訊きたかったんだ。こないだ、写真撮った所あるじゃないですか。あそこの、ここから行って、突き当たりの巨木。

恵子 神木。あれ何の木だったっけ。昔。
藤田 生きてた?
恵子 はい。あれが朽ちたんです。
藤田 雷とかじゃなく。
林 朽ちた。
藤田 朽ちたものを、取り除かないんですね。
恵子 御神木だからじゃないのかな。
藤田 じゃあ50年前は生きてたんだ、あの巨木。崩れたりして、危なくないように削いだりしたのかな。
恵子 完全な一本の木ではなかったけれど、もともと高い状態であったと思いますけど。
藤田 あそこで、なにかを守っているみたいな佇まいだけど。異様に、大きくて高い木が生えていますよね、あちこちに。
林 樹齢何千年、何百年。
恵子 あの木も相当だもの。だからやっぱり御神木として置いとくんじゃないかな。
藤田 や、すごいと思う。屋久杉くらいすごいんじゃない。そして東京だったら、速攻で抜かれて、片づけられていると思う。境内にいくつかありましたよね、祀られているような巨木。
林 ああいう木も、もたれかかると落ち着きますよね。なんか。
藤田 熊の冬眠みたいな話ですね、それ。
林 さっきの父の話じゃないけど、木に語りかけるっていうのかな、なんか心配事とか困ったことがあったら、木にもたれてどうしたらいいんでしょうって、聞くんです。まあちょっと、神社の敷地内に聞きにいってる木があるんですよ。
藤田 そうなんですか。
林 僕がいつも聞きに行く木っていうのが。誰にも秘密だけど。
藤田 秘密。
恵子 私もわからない。
林 なんか妙にもたれかかって落ち着く木。

藤田 だから、50年住むってすごいことだよなあ。そういう発見も含めて。想像がつかない。
林 どっちかといえば引っ越ししていきたいようなタイプなのに。
藤田 話しをきいていたら、一か所にとどまるようなタイプじゃなさそうなのに。
恵子 そう、あんなにいっぱい旅行してあちこちに行ってんのに、ここだけはずっといるんですよ。
林 木も、結構大事だよね。木ってだって、自分より長生きしてる。
藤田 僕もすごい田舎で過ごしたからか、昔から木に囲まれていて。うちの親父も木材屋だし、木にまみれて。キャンプもすごい好きで、中学のときキャンプに行ってお世話になったおじさんが、焚き火のまえで話してくれたんですよ。何も装備なしに森に出かけたら、必ず“ここで寝てくれ“って語りかけてくる木が現れる、って。その木のほとりに腰をかければ、すぐ眠ってしまうような。
林 僕がさっき言った、聞いたら相談できる木と同じですね。
藤田 気配みたいなことなんだと思うけど。もちろん演劇だって、どんな仕事だって、こういう感じで脚本書けばうまくいくとか、こういう感じで原稿書けばとか、何か方程式みたいなことって多分あるんだとおもうけど、でも僕はそこにあんまり興味がないというか、基本的には気配を信じてやっていきたいというか。自分の体調とか自分のその時、生理的な気配に作品なんて流されていいんだし、それを忘れちゃうとなあ、って。

インタビュー:2022年11月8日
撮影:藤田貴大
荒木穂香(ひび) 柳瀬瑛美(ひび)

林信作さん、ありがとうございました。
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