藤田 今日、もうちょっと聞いてみたいのは、ここ10年くらいの話で。
林 はい。
藤田 当時、原宿にあったVACANTで僕らの作品を恵子さんと見に来てくれて、そこで初めてお話ししましたよね。あれが多分、7~8年前とか。あの頃は、まだ病気は見つかっていなかった?
林 そうですね。病気が見つかったのは、2年前。
藤田 そうなんですね。東京に来る時は、どこか決まったところに?
林 赤坂のホテルに泊まっています。TBSの裏手に、三分坂っていう坂があって、見晴らしがすごく良いので。
藤田 へえ、すごくいいところに。
林 ええ。けっこう便利でしょ、赤坂って。だから東京に行く時は、ずっとそこに泊まっていて。
藤田 10年くらい前というのは、じゃあ50代の終わりあたり?
林 そうですね。震災が終わって、ある意味絶望したけど、当時、今よりひどい状況にならないんじゃないかという希望があったんですよね。
藤田 希望。
林 しかし、あらゆることが、ひどくなってしまって。
藤田 政権も替わって、世界の情勢も。
林 それから、社会全体が、本当にひどくなって、まさに10年くらい前か。震災があって皆があんなに絶望して希望が出始めたはずなのに、皆自分のことしか考えないようになっちゃって。それから辛いですね。
藤田 この10年で、どういうことを考えていますか。いろんな表現も見たと思うけど。
林 はい。抵抗じゃダメなんだなと思いました。もっと根本から変えていかないと、よくならない。表面的に絆とか、他人を思いやろうとか。「こういうところが正しい、間違っている」、「安倍政権を、許さない」みたいに抵抗だけをしていても、人は変わらない。余計、また硬直してく。そういう思いがあって、そういったものが表現においても来てしまった。なんだかとんでもない時代になってしまって、悲しいです。
藤田 確かに表現も、もうそこをどうしても無視できなくなってしまって。
林 だから、うわべだけの体制寄りの「よくなりますよ」っていう、そういう表現が増えちゃって。面白ければいいじゃない、楽しければいいじゃない。
藤田 コロナ禍に病気が見つかったということよね?
林 そうですね、ちょうどみんなが外にでなくなった頃に見つかりました。
藤田 自分で気づいたんですか。
林 すごく、ここ(喉)が腫れてきちゃって、それで気づいて。
藤田 そして病院に行って。
林 病院に行って、抗がん剤をやっても効かないので、食道取っちゃって、まあ、今生きてるって感じです。自分にとってはコロナの影響よりも病気の方が大きいですね。
藤田 林さんは病気になっても劇場に足を運んでくれました。
林 そうですね。こう言うとかっこよく聞こえちゃうけど、やっぱり生きるために、芸術に接してますから。よく趣味に「アート鑑賞」と、書くのが嫌で。趣味じゃないんだから。食べることと一緒で、生きるために音楽聴いたり、演劇見たりするという感覚があるので。だから、病気になっても続けています。
藤田 この2年間は、どういう2年間でしたか。
林 やっぱり、行動が制限されて、食事を自分で美味しく作れない。そういったことができないってことは、歯がゆいですね。頭の方だけ、すごく進んじゃって、ものはわかるようになってて、なのに自分で具体的にできない。
藤田 頭がむしろ、明瞭に。
林 そう、だからダメなものがわかりすぎちゃって。まあ、気楽ですけどね。
藤田 息子さんとは会っているんですか。
林 ええ。あまり帰ってこないんで、こっちから行くって感じです。
藤田 そうなんですね。
林 多分、息子も僕みたいに、この世界が辛いってことに気づいたことがあって。僕も若い頃に、やっぱり、この世界では幸せになれないと、思った瞬間があったんです。なんか、人生の本当の姿って、わかっちゃうと楽しく生きられない。だから息子もそう思っていることがわかって、それは僕のせいだから、やだなと思いました。わかってるから、お互いに。お互いに何も言わなくても「あの感覚わかる」というのがあって、それがさっき言ってた人生の辛さとか。一度、夕方に2人で自転車に乗って鴨川へ行ったことがあって。夕方の光が鴨川に当たって、その儚い光を見て「綺麗だ」って言ったんです。ちょっと僕も、言葉を失いました。
藤田 ここより下流の、合流した鴨川で?
林 そうです。なんか、人生の儚さを感じる光って誰でも1度ぐらい感じるじゃないですか。それが美しいってわけだけど、それを「ああこいつ(息子が)、わかったんだな」って。人生の儚さをわかってる人って、そんなには幸せになれないじゃないですか。だからそれが、わからない方がいいような悪いような。
藤田 それは息子さんがいくつぐらいの時ですか。
林 中学校ぐらいです。
藤田 阪神大震災の時はどこにいたんですか。
林 ここに。
藤田 息子さんは小学校1年生とか2年生ですか。95年。
林 僕が最近、よく泣くのも、やっぱり世の中がひどくなっていくからかな。年取ると、エゴイスティックになるっていうけど、年取ってから、社会性が出てきた気がして。自分なんかどうでも良くて、世の中のことを、もっと良くしたいという気持ちになるんです。そんないい人になるはずじゃなかったのに。そういう意識が出てきたな。
藤田 ものすごい10年間だったなあ、って思うんですよね。良くも悪くも、嘘みたいなことがすごい速度で連発するんだ、って呆気にとられちゃって。この10年のことはずっと忘れない気がしますね。そして、現在は2020年代ですけど、この先10年後はどうなってると思いますか。
林 ひえー、10年後。僕はあんまり楽観主義じゃないから、良くはならないとは思いますね。でも、安倍首相の国葬に反対する人がまだいるんだから、全く違った世の中になるかもしれないです。だんだんひどくなっていくのではなく、もっと今までにないあり方、今までにないコミュニケーションとか、小さくても力があるようなものが生まれて、それが通っていくと思います。しかし、どんどん分断はしていくとも思います。それに気づかない人は、地下に潜るしかないかと、戦いとしては。じんわり、こう、小さくても、目立たなくてもいいから、コツコツやっていくっていうことにしかならなくて、絶対そういう火は残っていくと思うんです。例えば、中世っていう時代、教会を支配した時代って1000年ぐらいあって、暗黒時代っていわれてるわけじゃないですか。だから、まあこんな愚かな時代があと1000年くらい続く、ぐらいの気楽な気持ちで、じわじわと暗黒の時代をやっていくしかないかなと思います。技術やテクノロジーは発達するから便利になっていくけれど、人間の心とか精神は必ず残っていって、未来の誰かが発見してくれるぐらいな気持ちで、やってくしかない。必ずできると思いますよ、それは。今までもそうやってきたんじゃないかなと思いますね。10年単位で考えるやつはね、心が狭いよ。
藤田 そうですね(笑)。
林 やっぱり、人間生きてる間じゃなくて、自分がこの世からいなくなってからのことぐらい考えないと大きな人間とはいえない、ぐらいの気持ちでいた方がいいかな。
藤田 うん。さっき、頭がすごい明瞭になっていくのと反比例して、身体がっていう話もありましたが。身体感覚とは別に、何を考えているかというバランスが、やっぱり絶対変わったと思うんですよ。病気になってから、その辺はどうですか。それ以前と、そのあと。
林 ちょっと、これ、分かりにくいことだけど。間違ってるかもしれないけど、最近感じてるのは、東洋とか仏教でいう、唯識ってありますよね。自分の思ってることが、世界にそのまま起こる、自分が関わって物事が起こるみたいな思想。今、世界から自分が離れて、一部じゃないと思うようになってきてね、こんなこと初めてです。
藤田 世界の一部分の、自分? 身体?
林 っていう風に前は考えていたけど、今は自我が強くなったっていうか。
藤田 そうじゃなくて、そこから離陸していく。
林 はい、そんな感覚があって。まずいかな、と思うこともあります。誰でも、自分は世界の一部だって思うじゃないですか。それを今では思わなくなって。これって正気ではないと思うからさ。そうでしょ、きっと。
藤田 うんうん。
林 だから、ある程度、全ての出来事がばかばかしく見えちゃうんだ。そういう感覚があるから、もっと自我を消すようにしないと。その割になんか思いやりとか生まれてるから、もしかしたら、逆にこれはいいのかもしれない。
藤田 いいんですかね。
林 思いやりと、自分は世界から独立してるんだということが結びついたら、いわゆる愛になることですから。僕自身が、いわゆる神様みたいなもんじゃないですか。そういう、慈悲深いものになったらどうしようって、この頃ちょっと考えたりしますね。すみません、分かりにくい言い方で。
藤田 いや、全然。
林 あ、わかったわかった。うちにずっといるから。自分しか見てないから。じゃあ、やっぱりまずいよね、これ。だから、藤田さんが昨日、“聞く”って言ったけど、聞くっていうことは、“見る”ことでもあるじゃないですか。“聞く”“見る”ってことを最近してないんですね、僕。だから、世界から離れてるんだ。今さっき言っていたこと、全部否定します。聞くこと、見ることを、2年間していなかった。それなら、早くそれをできるようになった方がいい。おお、こんなんじゃダメだ。
藤田 でもやっぱり、足を運ぶってことをやめてないっていうのは、どこかとやっぱ繋がろうとしていると思うんです。
林 ああ、この2年間、間違った道を僕は、歩んでた。今、なんか自慢げに「私は世界から離れてる」みたいなこと言ったけど、それしちゃいけないんだ。なんかすごい、反省してきたよ。
藤田 (笑)。なんでですか。
林 なんか見たり聞いたりしてこなくて。あかんあかん、やっぱりエゴイスティックになるってそういうことか。
藤田 林さんが、今年の2月の『Light house』だったかな。その身体でせっかく東京へ来てくれたのに中止になってしまったんですよね、公演が。ここ数年は、こういうことの連続なんだけど。林さんに限らず、こんな状況下でもぼくらの作品を観ようと、外へ出て劇場まで来てくれようとするんですよ、観客の皆さんは。そのときに、演劇という表現行為をただの娯楽とかエンターテインメントだとは僕は思えないし、そういう態度は取れないんですよね。演劇は一か所にしかないんですよ。劇場に集まる道中に、観客の誰かが事故に遭うかもしれない。演劇を上演して、誰かに観せるというのは、そこに生命(いのち)が集まるという行為だと思う。だから僕らも、そのつもりで待っていないと。林さんがその身体で京都から東京に来てくれて、でも観れなかったとか、そういうことがやっぱ起こるんだなっていうのが、この2年と半年、ずっと引っかかっていたんです。演劇をやっているから、起こってしまうことがある。だから今こうして僕から、会えなくて会いたかった人に会いに行きたいと思って。
林 だから、場を作るってことですよ。場ができるから、そこに行こうと思うし、その場に引力があればみんな行くし、そうすると、なんか自分が関わってるような気もするし。そういうのが、魅力ですよね、場があるって。それから、何かが立ち上がってるっていうことが、行きたいなと思ったりしますよね。それは、自分が行かないと見れないんだと、自分の体を運んでいかないと、それは立ち上がらない。
藤田 そうですね。
林 演劇が、立ち上がらない。
藤田 そうなんです。
林 お客さんがいないと、立ち上がらない。場を作りましたって表現した人が言っても、例えば演劇ができましたと言っても立ち上がらない。ここにモナリザの絵がありますよ、ここにモナリザという場がありますよと言っても、モナリザは立ち上がらない。だからそこに行く。そうやって立ち上げに行く人がいないとダメだってことも思います。
藤田 ダヴィンチが今の理屈がわかっていたとも思わないし。色と同じですよね、光がないと、色なんてもともとない。光がないと目は色をキャッチできないから。存在というのは、在るだけだと存在していないんですよね。その存在を表象する他者/観客がいないと。
林 ものって作った瞬間が、一番クリエーション。例えば、文章を書いてても、できた瞬間に、すごいものができたとなる。でも、それは再現性がない。演劇でも、稽古の時に良いものができたとして、本番でそれを再現しようとすると、稽古通りにはうまくいかない時がある。その分のクリエイションをするのは、読む人、観る人。創造されるものは、作者が半分作って、それを見る側が半分作るっていうことが正しいなと思ったことがあって。作る人は半分までしか作れず、あと半分は見る人なり鑑賞する人が作って、完成する。
藤田 そう思います。
林 一生懸命やればいいから。人のことを考えずに、本当に見る人のことは考えずに、自分がやれるところ、できるところまでやっちゃえば、半分できたんだから。あと半分は、見る人がそれぞれ作ってくれるから。そう思えばさ、けっこう、気が楽でいいですよね。
藤田 うん。
林 でも、もの作るって、やっぱり、大変ですよね。当たり前だけど。
藤田 いや、楽しいですけどね、本当に。僕は。
林 あんまり苦しいとこはないですか?
藤田 いや、もう苦しいといえば、もうずっと0から100まで苦しいんだけど。でもその苦しいも含めて楽しい、ので。全然、そこにストレスはあんまりないですけどね。
林 楽しいよね。なんか料理だってなんだって、作って美味しく食べて、工夫したり、ちょっとした思いつきとか。作ってく過程で変わってくのは楽しいし。なんか、偶然の力が働くんだよね、いいものって。自分の力じゃないようなもので。でも初めっから、その偶然を狙っちゃダメだけど。なんだか、自分じゃないみたいな。
藤田 上賀茂神社のあたりに住んでた時の、アパートはまだあるんですか。
林 ありますよ。
藤田 あるんだ。もうそのあと、ここですか。
林 そうですね。上賀茂を水が細く流れてて、結構用水路があって。やっぱ京都は水だよね。この土地の下に、琵琶湖ぐらいの水があるんですよ。溜まっていて。
藤田 そうなんですね。
林 そんなに水があるんだったら、京都は島だよね。そう考えたら。びっくりしたもん。琵琶湖ぐらいの地下水であって。この土地って大丈夫かって、思いますよね。
藤田 びたびたなんですね。
林 そう、びたびたで。その上に土地があるんだから、浮かんでるよね。
藤田 浮かんでるんだ。
林 それって、すっごく、象徴してますよね。だから、僕らも今浮かんでいて地に足ついてない状態なんですね。
ああ、これいいね、地に足がつかない人生だった。
藤田 (笑)。でも確かに、川もそうですけど、水の流れを感じますよね。京都は。
林 やっぱり川があると、音につながりますよね。川が。
藤田 ホワイトノイズみたいに鳴っていますよね。さーって。
林 そうそう。誰もが、川に触るよりも、音を聞きますもんね。
藤田 聞いてますね。あそこに佇むと、自然と黙るしね。
林 そうそう。ほんと、ノイズみたいに。
藤田 海はどうなんですか。
林 海は、苦手だな。
藤田 でもポルトガルは海の街だった?
林 そうですね。でも、川が入り込んでいて、川から海に出る街だから。そこから、ポルトガルとスペインが世界を領土として半分に割ったじゃないですか。そのテージョ川から、海に行くところが素晴らしいです。
藤田 へえ、行きたいな。
林 昔、そこから男たちは戦いに出て、女たちは悲しんだそうです。
藤田 地形がそう言ってるんだ。
林 演歌じゃないけど、波止みたいな、ああいう世界観が作られて。だから男性が帰ってくると、女性が別の男性と一緒になってたとか、そういう面白い話があったりします。ある意味ポルトガルって外へ、目を向けながら、暗くて、内向きというか。一旦、栄華を極めたから、諦めてるって部分もあるみたいで。諦めながら、時間をかけながら。
藤田 でも別にポルトガルが京都に似てるわけではないですもんね。
林 そうですね、京都に似てるって言ったらやっぱり、パリとか、そういうところかなと。
ちょっとちょっと、あんまり話しまとめないで、もうちょっと、広げましょうよ。ここで終わっちゃいそうな感じって。いつも、また続くみたいな、感じで終わるのがさ、
藤田 うん、いいですよね、
林 そうそうそう、もうこれで、これっきりにしましょうみたいな、感じにならないでさ。じゃあまた続くからさ、
藤田 はい、また全然会いにきます。
林 また、続くからっていう感じでさ、なんでも終わらないと。
藤田 うん、そうですね。
林 そうそう、だから、ハッピーエンドもいいけど、またこれ続くなみたいな、なんか中途半端みたいな感じでもいいから、それで終わらないと、なんか、ね、悲しくなっちゃう。
藤田 うんうん。
インタビュー:2022年10月18日
撮影:藤田貴大
荒木穂香(ひび) 柳瀬瑛美(ひび)
-interview #3 へ続く
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