MUM & GYPSY 10th anniversary year

© 2017 MUM & GYPSY

——『IL MIO TEMPO』という作品は、イタリア人俳優4人と日本人俳優4人によって構成されています。まずはこうした作品が製作されることになった経緯から伺えますか?

 

藤田 今から5年前にフィレンツェで『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて』という作品を上演したんですけど、それがマームとジプシーにとって初めての海外公演だったんですね。自分で言うのもどうかと思うんですけど、その作品が好評だったんです。公演が終わったあとにイタリアのディレクターとミーティングをして、「いつかイタリア人の俳優と作品を作って欲しい」って話をされて、僕からも「いつかイタリア人の俳優と作品を作りたい」って話をした記憶があるんです。それで、2014年には『てんとてん』という作品でイタリアの北部から南のシチリアまでツアーをしたんですけど、そのとき一つ一つの町でワークショップという名のオーディションをしたんです。そこで出会ったのが『IL MIO TEMPO』に出演している4人の俳優で、その4人と、僕が連れて行った日本人の4人とで創作が始まったのが2年前です。

――それが2015年の、まさに“夏の終わり”だったわけですね。滞在製作をしたのは、フィレンツェにほど近いポンテデーラという町でした。

 

藤田 そうですね。ポンテデーラには国立の劇場があって、そこで『てんとてん』も上演したんですけど、その劇場は宿泊施設もあるんですよね。そこに泊まり込んで製作しました。

 

――外国人とクリエイションするのは、それが初めての経験だったんですよね?

 

藤田 だから、結構緊張しましたね。あのときは『cocoon』の再演を終えたばかりで、結構疲れてたんです。イタリアの皆とやるってこと以上に、「『cocoon』という作品を終えたあとに、どうやって人と関わればいいんだろう?」って、そういう根本的なところで緊張してたんです。『cocoon』は戦争というものを扱う作品で、モチーフとして大きなものを描いたあとに、それ以前にマームとジプシーがやっていた人との関わりかたに戻れるのかってことに漠然とした不安を抱えながらイタリアに向かったのを憶えてますね。イタリアに向かうときはまったく眠れなかったです。どうやってイタリアの皆と話そうかってことをずっと考えてたんですよね。僕は英語もできないし、イタリア語もできないから、僕の言葉は伝わらないんだけど、言語の問題というよりは「どうやって人と話をしようか」ってところで不安だったんです。

 

――実際に創作する段階では通訳が入るわけですけど、藤田さんに限らず、俳優の皆もそんなに英語が話せるわけではないですよね?

 

藤田 でも、不思議と伝わってくるんですよね。『IL MIO TEMPO』に関して言うと、僕が書いたテキストは少ないんです。細かいシーンも含めて、皆にインタビューした内容から作っていて。インタビューした質問はシンプルで、「今まで生きてきて一番痛かった経験は?」とかそういうことだったんですけど、そうすると自転車で事故に遭ったみたいな話が多くて、それで自転車を漕ぐシーンが生まれたり。あと、イタリアのタイム感ってあるんです。休憩は基本的に2時間とか、コーヒーを飲まないと目覚めないとか。そういう感じがあるから、とにかく皆と一緒にコーヒーを飲む時間と、あとは一緒に料理をする時間に稽古と同じぐらい時間をかけてたんですけど、そうするとコミュニケーションを取れるような感覚になってくるんですよね。

――藤田さんのクリエイションとして、インタビューから作品を立ち上げるのは結構珍しいことですよね。それともう一つ、『IL MIO TEMPO』の場合、2015年の滞在製作のときは皆と一緒に散策したり、藤田さんまで一緒にジョギングしたりしてましたよね。あれはかなり珍しいことですよね。

 

藤田 そうそう(笑)。ジョギングは結局数日でやらなくなったけど、でも「一緒にジョギングをする」って決めてたり、意気込みがありましたね。

 

――そうして2015年の滞在製作があり、2016年の秋になると今度はイタリアの皆を招いて、今日と同じく彩の国さいたま芸術劇場の大稽古場でワークインプログレスという形で発表をし、今年の9月下旬からまたイタリアの皆に来日してもらって上演に向けた作業が再開されたんだと思います。そうして上演された今年の『IL MIO TEMPO』を観ていると、かけがえのなさみたいなものを感じるんです。これは別に、ハートウォーミングな話がしたいわけではないんですよね。僕は普段そんなことを思うような人間ではないのに、この作品を観ているとそんなことを思わざるをえないところがあるんです。それは一体なぜなんでしょう?

 

藤田 なぜなんですかね。僕も作品づくりにおいては「しっかりクオリティを高めていく」みたいなところで作ってるはずなんだけど――橋本さんが言ってることとはまた違うかもしれないけど、僕も近いことを思ってるような気がしてるんですよね。たとえば皆がダンスをするシーンとか、皆が海を眺めるシーンとか、ああいうのは日本人だけのマームとジプシーの作品では描かない気がするんです。でも、彼らだと描けちゃったんですよね。

 

――皆がダンスをするシーンだと、アンドレアのモノローグがあるにせよ、他の皆は言葉を交わすことなくただ踊っているだけですよね。あと、海のシーンでも、ほとんど言葉を交わさず、わずかに交わす言葉にも字幕は表示されません。

 

藤田 そこに「彼らが話すイタリア語がわからないから描けた」とかって言い訳は成立しないと思うんです。彼らが話している言葉は、全部台本に書いていることだから、僕の中では意味も全部わかってるんですよね。ただ、彼らを見ていると、そういうシーンが自然と出てきたんです。かけがえのなさみたいな言葉について言うと、彼らと出会わなければ作らなかったシーンを作ったし、それを漠然と連続させるだけでこういうニュアンスになるんだってことに気づけたんですよね。そのことは僕の中でもまだ咀嚼しきれてないですけど。

――観客である僕が『IL MIO TEMPO』という作品にかけがえのなさを感じたというのは、この作品を作っている藤田さんが、この作品の出演者たちと過ごしているときに視線を注いでいるときにかけがえのなさみたいなものを感じたからじゃないかと思うんです。今回イタリアの皆が来日したあと、皆でバーベキューに出かけたり、役者の皆だけで築地と浅草に観光に出かけたりしてましたよね。クリエイションの現場と違って、そこには通訳できる人は誰も入らなかったですよね。でも、別に皆の言語レベルが格段に上がったというほどでもないのに、そこで一緒に時間を過ごせている。そういう皆の姿を目の当たりにして、藤田さんも何か思わざるをえなかったんじゃないかと思うんです。

 

藤田 そうですね。一緒にいるときって、日本語でも英語でもイタリア語でもない言語でしゃべっている感覚があるんです。僕らはいろんなラインの中に生きていて、いろんなラインを引きたがるし、この企画が終わればまた隔てられるのかもしれないけど、彼らを見てると「そのラインはそもそも必要なものなのか?」と思うところはある。だから自分にはなかった言葉が思い浮かんでくるのかもしれないです。ただ、最初のうちは『IL MIO TEMPO』に対してドライな気持ちでいたんですよね。

 

――「最初のうちは」というと?

 

藤田 2015年、最初に『IL MIO TEMPO』という作品を始めた頃ですね。さっきも言ったように、初めて海外で僕の作品を上演したのは2013年で、28歳のときだったんですね。そのときに、自分の作品を海外ツアーにまわすことは今後もできるだろうなって感覚はあったんだけど、今回の台詞にもあるように「それは本当に旅をしてるってことになるんだろうか?」ってことを考えたんです。日本で作った作品を海外の人たちに観せて、「これがマームとジプシーです」って紹介を各地でする。それはでも、本当にその土地の人たちに出会っていることになるんだろうかってことを考えたんですよね。だから僕は、現地の俳優と一緒に作品を作れるキットを作ろうと思ったんです。

 

――ドライな気持ちでいたというのは、そういう意味ですね。『IL MIO TEMPO』という作品はいわば一つのシステムであって、これと同じように各地の俳優にインタビューをして、そこに藤田さんが編集を加えることで作品が立ち上がるという。

 

藤田 そう。そういうキットがあれば、いわゆる旅公演とも違う、現地で作って現地の人たちに観せる旅ができるんじゃないかと思ったんです。そうやって『IL MIO TEMPO』を始めたんだけど、今言ったこととは別の感情が芽生えたんだと思います。この人たちに出会ったことで、ラインだらけだったこの世界の中で、そこにはラインも何もないようなあっけらかんとした時間があるように感じる。それは特にダンスのシーンですよね。ダンスとか、何でやらせようと思ったのかわからないんですよね。

――……自分で作っておきながら?

 

藤田 アンドレアの台詞にある通り、「何でこの人たちは踊ってるんだろう?」って、僕が踊らせてるのにって思うんです。「なんか踊ってるな」とか「なんか楽しそうだな」とか――そう、楽しいみたいな感情ってマームにありましたっけ?

 

――ほとんどなかったんじゃないですか? 少なくとも稽古場で、藤田さんの前で楽しそうに過ごしてる人はいなかった気がします。だって、楽しそうにしてる人がいたら「何で楽しそうにしてるわけ?」とかって言うでしょう?

 

藤田 なっちゃうよね。こういう話をするから、またそういうイメージを持たれちゃうんだけど(笑)。

 

――でも、踊っている皆の横でアンドレアが「こうして踊っているこの時間は一体何なんでしょう?」と語るシーンはすごく印象的ですね。あるいは、海辺のシーンだと、アユミが皆の写真を撮ったあと、アンドレアが「写真を撮ったところで それは『記憶』として残るわけではない」「記憶はアタマのなかにだけあるもので そしてそれはやがて 薄れていく」ということを語ります。目の前の風景にかけがえのなさを感じることと、そんな風景もやがて消え去って記憶からも失われていく、この楽しそうに見える瞬間が何だというのだろうという二つの感覚が、藤田さんの作品の中では分かち難く結びついているように思います。

 

藤田 舞台で行なわれる、写真を撮るとか、踊るとか、料理をするとかってことは、極めて生きようとしている方向に振れてるじゃないですか。だから、アユミが言ってる「こんな世界で生きている理由ってなんだろう」という台詞は矛盾してるように思われるかもしれないですけど、人ってものすごい矛盾の中に生きているような気がするんです。写真を撮っていても、料理をしてても、踊っていても、明日には確実に死んでいる可能性もある。その微妙な振れ幅のことを最近はすごく考えるんです。あと、人には今生きている時間の他に記憶というレイヤーがあって、生きてる限りはその記憶ってものと付き合っていくしかないんだけど、生きることをやめたら記憶はたぶんなくなるわけですよね。そういう、ひたとくっついているようなことを、僕はどの作品でも語りたいんだと思うんです。イタリアの皆は月曜日に帰国するけど、皆と過ごしていると、この稽古やこの作品のことも薄れていくんだろうなと思うんですよね。今日観にきてくれた皆さんも、興味を持って僕の話なんか聞いてくれてるけど、明日からは薄れていく作業に入っていく。演劇なんていうのは1時間半なら1時間半だけの現象で、それはホテルっていう場所と――一時的に滞在するだけの場所と――あんまり変わらないんじゃないかと思ったんです。

――今年の『IL MIO TEMPO』の特徴として、ホテルで働いている人たちの情景が増えましたよね。去年は泊まりにきたお客さんたちの時間を中心に構成されてましたけど、今年は従業員たちの日常も時間を割いて描かれています。

 

藤田 そうですね。僕は年がら年中劇場って場所に自分の世界を広げて、こうやって観客の皆さんを招く仕事をしてるわけですけど、それは人を出迎えて見送る仕事でしかないんじゃないかと思ったんです。僕はいろんな劇場を旅してるんだと思ってたけど、いろんな人を出迎えてるんじゃないかと思ったんですよね。僕は作家だから舞台に出ないけど、役者さんたち――彼らは言葉の出口になる人たちだと思ってるんだけど――は、1時間半なら1時間半、観客の皆さんと直接的に関わるわけです。「もてなす」みたいな言葉は大嫌いだから、そういうことでは全然ないと思ってるんだけど。劇場を開けてお客さんを招いて、上演時間が終わるとまた見送る。それを従業員として繰り返しているのが役者さんなのかもしれないなと思ったんです。そういうことを考えると、僕が『IL MIO TEMPO』という作品でホテルという場所を描こうとしてることがすごく整理がついたんですよね。それで人が行き交うホテルという場所にただ居続ける人たちの台詞がおのずと増えたんだと思います。

 

――去年との違いということで言うと、家族というもののつながりが薄くなりましたよね。ホテルで働くアンドレアのもとに、血の繋がらないアヤという妹が訪ねてくる。それは去年からある設定ではありますけど、距離感がずいぶん違いますよね。はるばる会いにやってきたアヤに対して、アンドレアは第一声で「なぜここに来たの?」とちょっと迷惑そうにして、一悶着あります。

 

藤田 何だろう。家族ということに対して、個人的に疲れてきてるっていうのが一番あると思います(笑)

 

――作品の中であんなに家族を描いてきたのに?

 

藤田 今年の夏にツアーした作品の中に、一つ大きい作品として家族を描く作品があったんだけど、それをいろんな町で観るたびにわかんなくなったんですよね。自分の家族のことを描いてきたつもりなんだけど、作品の中で皆が僕より達者に話すから、もう誰の家族なのかわかんなくなってきて。しまいには「家族って何なんだろう?」ってことを思うようになって、家族というものと距離をおき始めたのがこの夏でしたね(笑)。それで、「もう家族とかじゃないな」と思い始めたんです。これは言葉で説明できることじゃなくて、今の自分がそういう時期なんだと思うんですけど。

 

――そうすると、これから藤田さんが描く作品も変わってくるかもしれないですね。

 

藤田 だと思います。でも、そうやって自分の今のコンディションみたいなことも劇作家は描いていい気がするんです。だから今この時間に上演するって媒体で表現してるんだと思うんですよね。今の僕はやっぱり、家族と過ごしている時間よりも、イタリアの皆と過ごしている時間のほうが「家族だな」と思うんです。

 

――そんなに言葉が通じないとしても?

 

藤田 言葉が通じないとしても、こっちのほうが家族なのかもしれないなと思ってるんですよね。家族って言い方はちょっと恥ずかしいけど、家族よりも家族だと言える存在っているじゃないですか。それは恋人みたいなこととも全然違うんですけど、この秋にそういう人たちとまた再会できて良かったなと思ってます。

――今年の『IL MIO TEMPO』について、どうしても語っておきたいシーンがあるんです。作品の終盤に、カミッラとジャコモが別れたあと、場面がパッと切り替わって「第一次世界大戦中 イタリア領マッジョーレ湖」とジャコモが語り出すシーンがあります。そこでカミッラとジャコモはスイス領を目指してボートを漕いでいるわけですけど、あれは今年あたらに付け加えられたシーンで、ヘミングウェイからの引用ですね。

 

藤田 そうですね。ヘミングウェイの『武器よさらば』です。イタリアの皆と出会ったワークショップをやっていたのはイタリア北部のメイナという町で、会場はマッジョーレ湖のほとりにあったんです。『武器よさらば』は、最後のシーンでイタリア領からスイス領に向けてボートで漕いで、とにかく国境を越えるんです。今年の『IL MIO TEMPO』は、そのシーンを抜き取って描いてみたいと思ったんですよね。

 

――それはなぜ?

 

藤田 この3年間、ジャコモの役が結構謎だったんですよね。何で自分はジャコモに旅人の役を執拗にやらせようとしているのか、ちょっと考えてたんです。それで、今年の夏にツアーしてるとき、ヘミングウェイを読んでたんですよね。彼自身が戦争にかかわった人でもあるけど、『武器よさらば』を読んでいると、マッジョーレ湖が出てきたんです。そこで「ああ、マッジョーレ湖を北上するとたしかにスイス領だ」と思ったんですよね。ニュースを見てても今年は「ライン」とか「国境」とかって言葉が溢れてるから、そういうことについて考えていて。イタリアの皆は僕と同年代で、政治の話もちまちまするんですけど、やっぱりそこは体感が違う気がするんですよね。日本は島国だけど、イタリアには別の国と地続きになっていて、国境線があるっていう。

 

――イタリアの場合は特に、シリアからの難民が地中海ルートでやってくるわけですよね。

 

藤田 そこにある感覚の違いって何だろうってことを思いながら『武器よさらば』を読み進めてたら、マッジョーレ湖って名前が出てきたから、どこかでこのシーンをやってみたいと思ってたんです。

――僕はヘミングウェイを始めとして、ロスト・ジェネレーションと括られる作家たちのことがずっと気になってるんです。好きとかってことじゃなく、気になってるんですよね。彼らが「ロスト」しているというのは、それまでの伝統や教養や価値観から切り離されているということで、それでロスト・ジェネレーションと呼ばれるわけです。この『IL MIO TEMPO』という作品にも、あるいは藤田さんがこれまでつくってきた作品にも、ロストしてしまっている感覚は描かれてきた気がするんです。そうした感覚のことを、イタリアの皆と話しながら、改めて見つめ直したんじゃないかと思うんですよね。特に印象的なのはカミッラのエピソードで、彼女はグルテン・アレルギーなわけですよね。そうすると、劇中でも語られているように、ピザもパスタもパンも食べることができなくて、「わたしの国にいるのに、外国にいるような気持ちにさせられる」と。

 

藤田 彼女は実際にグルテン・アレルギーなんだけど、カトリックだと、教会で神父さんにパンを与えられるんですよね。まだ小さかった頃に、教会でパンを与えられたとき、家に帰ったら激しいアレルギーが出て。イタリアでグルテン・アレルギーだってことはどういうことか、容易に想像できると思うんだけど、食べれるものがないわけですよね。

 

――最近でこそグルテンの問題が広く知られるようになったみたいですけど、少し前まではグルテン・フリーの食材は少なかったでしょうね。

 

藤田 カミッラがグルテン・アレルギーだからキャスティングしたわけでは全然ないんだけど、そういう亀裂というか、外側の世界と自分の内側の世界にある亀裂みたいなことを探っていたのかもしれないです。今年のバージョンで言うと、「ここがどこなのか、今がいつなのかわからない」という台詞通り、現実世界とは切り離された不思議な世界になってきた気がします。最後のシーンも、シークレットエレベーターで最上階にたどり着くと屋上庭園が広がっていて車椅子のおばあちゃんがいるって、ちょっと謎な展開ですよね(笑)。そういうところも含めて、現実とはちょっと切り離された変な土地にあるホテルが仕上がってきた気がします。

――そこがすごく謎として残る部分なんです。今の話にあったシークレットエレベーターというのは、去年までは存在しなかった設定ですよね。去年のバージョンだと、普通にアンドレアに誘われて最上階にたどり着いていたのに、今年は地下室でシークレットエレベーターを発見します。しかも、それはものすごく古いホテルだということが強調されているのに、指紋認証という最新技術が導入されていて、アユミの指紋でしかボタンが押せない仕組みになっている。ということはつまり、そのエレベーターを作った人は、事前にアユミの指紋を採取していたということになるわけです。これは別に、ケチをつけたくて言っているわけじゃなくて、あのシーンに仕掛けられているものは一体何なんだろうってことを考えざるを得ないんです。語られる台詞を額面通りに受け取れば、アユミが最後にたどり着いたのは屋上庭園で、そこでおばあちゃんと再会したってことになるわけですけど、はたして彼女がたどり着いたのはどこで、彼女が目にしたものは何であるのかは、観客がそれぞれ考えないといけない部分なのかなと。

 

藤田 そこは観客の皆さんに託すしかないなと思ったところなんですよね。そこは天国みたいな場所なのか、もしかしたらおばあちゃんというのは自分自身の姿なのか――僕の中では答えが決まっている部分もあるんだけど、演劇というタイム感の中にそういう説明まで加える劇作家としてのスキルが僕にはまだなかったんです。でも、あのシーンはなんか必要な気がしたんです。そのエレベーターが指紋認証になっていて、誰しもが行ける場所ではない必要があると思ったんです。

 

――彼女だけがたどり着ける場所ってことですよね。

 

藤田 彼女だけがたどり着けるし、彼女だけを入れたいと思った人がいる。そういう限定的な場所であるべきだという気がしたんです。でも、こういうことは30代になって増えてきたと思います。20代の頃は「もっとしっかり台本を書かなきゃいけない」とか「ちゃんと説明できなきゃいけない」とかって思いに駆られたんですけど、「そんな気がする」みたいなことで書くようになってきて。ただ、そういうふうにラストシーンを書く手癖が生まれてきてるから、知り合いに怒られるかもしれないけど、指紋認証はかなり気に入ってますね。

――それと関連する話として、今年の『IL MIO TEMPO』では、アユミというキャラクターが「私は、ここにくるまで、死ぬかと思ってた」と語りますよね。自ら命を絶つシーンはマーム作品の中で何度か描かれてきましたけど、それを成田亜佑美という俳優が演じることは少なかったんじゃないかと思うんです。その彼女が死について語り、しかも「死のうと思ってた」ではなく、「死ぬと思ってた」と語る。それは今年バージョンにおいてすごく重要なポイントだという気がします。

 

藤田 そうですね。「死のうと思ってた」とか「死んだほうがいいんじゃないかと思ってた」とかじゃなくて、「死ぬかと思ってた」なんですよね。今日はラインの話ばかりしてるような気がするけど、生きることと死ぬことの境目みたいなものが曖昧になってきているような感覚があって。死ぬかと思っていた1秒後には、生きると思うかもしれない――昔に比べると、そこに覚悟がなくても、どっちにも振れてしまうような感覚なんですよね。屋上でアユミはおばあちゃんの姿を見て、現時点では何となく「生きるかもしれない」と思う。でも、明日はどうなっているかわからないっていう、その言葉の華奢さをあらわすには「死ぬかと思ってた」が一番良いんじゃないかと思ってそう書いたんですよね。

 

——あの感覚はすごく新作だなと思いました。ちなみに、この『IL MIO TEMPO』の旅はまだ続きそうですか?

 

藤田 来年、フィレンツェで公演します。僕はどこでやるかってことにアツくならないタイプなんだけど、フィレンツェでやれるのはアツいよね。マームが初めて海外公演をした土地で、最初は「年齢もかなり若いし、よくわからない人間がきた」みたいな顔をされたんですけど、作品によって反応を変えられた感覚があるんです。そこにまた来年行けるのはアツいなと思っているので、この作品を観にきてくれた人はぜひ来年フィレンツェに来てください。

写真:橋本倫史

IL MIO TEMPO

Una conversazione con Takahiro Fujita

Intervistatore: Tomofumi Hashimoto

SAITAMA ARTS THEATER, 2017.10.20

Mi piacerebbe iniziare parlando della prima volta che Takahiro Fujita ha  portato il suo lavoro in Italia. All'estero, accade spesso che gli chiedano di parlare della Zero Generation. Ogni volta Fujita deve fare la stessa precisazione: “io non sono uno scrittore della Zero Generation, sono uno scrittore del decennio dopo. Avevo appena vinto un grosso riconoscimento per il mio lavoro, quando è arrivato il terremoto.” [L'intervistatore si rivolge direttamente a Fujita] Il 12 marzo 2011 avevi in programma un workshop di teatro, ma non hai potuto farlo a causa del disastro.

 

Era la prima volta che ricevevo dei soldi per il mio lavoro. Fino a quel momento, io pagavo gli attori, ma nessuno pagava me. Quel primo compenso riguardava un Workshop: c'erano persone che volevano conoscermi anche se non ero famoso! Ad ogni modo, il treno su cui stavo viaggiando si fermò e io non raggiunsi mai il luogo del laboratorio. Era l'11 marzo 2011.

 

In quel periodo stavi anche conducendo le prove per lo spettacolo “A stranger”. Molti degli attori coinvolti in quella produzione dicono che da quel momento le cose sono inizate a diventare più difficili.


Così, a freddo, è per me difficile capire le difficoltà degli attori. Comunque, a partire da “A stranger” ho iniziato a pensare in modo diverso, a pensare al mondo. Fino a quel momento non lo facevo, non mi fidavo delle mie parole. Continuavo a parlare di me, della mia esperienza; qualcuno poteva anche provare empatia per questo. Con “A stranger” è cambiato tutto: io e lo spettatore siamo parte dello stesso mondo, abbiamo qualcosa in comune, questo era il nuovo senso del lavoro. Prima, se non riuscivo a trasmettere un'idea a un attore davo la colpa a me, alle mie parole. Si trattava di passargli qualcosa dalla mia memoria. Ma il nuovo spettacolo era diverso: parlava delle cose che abbiamo in comune. Così, all'attore che dice di non capire ho iniziato a dire “stai scherzando? Questo è anche il tuo mondo!”. Perchè io e l'attore non siamo diversi, siamo persone che vivono lo stesso mondo.

 

“A stranger” ha debuttato nell'aprile del 2011 e ha replicato fino al 2013. Durante quell'anno è stato presentato a Tokyo, a Iwaki (una città di mare nella prefettura di Fukushima) e infine a Yokohama durante lo TPAM [il “Performing Arts Meeting”, uno dei più importanti festival di arti performative in Giappone]. Molti operatori stranieri l'hanno visto e apprezzato, chiedendoti poi di portare lo spettacolo all'estero.


Giusto. La prima persona che ha portato il lavoro di Mum&Gypsy fuori dal Giappone è stata Maurizia Settembri, la direttrice artistica del Festival Fabbrica Europa di Firenze. Inizialmente, mi ha chiesto di portare lo spettacolo “A stranger” in Italia, ma io pensai che quello spettacolo non fosse adatto per l'estero. Immagino di aver seppellito quello spettacolo nella spiaggia di Iwaki… Ho declinato la sua offerta. A quel punto, lei mi ha chiesto di portare a Firenze un nuovo spettacolo.

 
Penso che la sua sia stata una decisione coraggiosa!


In effetti, è abbastanza raro che qualcuno proponga a un artista che non ha mai fatto spettacoli fuori dal suo paese di presentare una nuova produzione all'estero. Comunque, è così che è andata. Decisi subito di portare con me tre attori: Ayumi Narita, Shintaro Onoshima e Satoko Yoshida. Con loro avevo già lavorato nel 2012, realizzando uno spettacolo nel Kitakyushu [città nell'isola di Kyūshū, nel Sud del Giappone]. Non so cosa abbiano pensato loro, ma io volevo ripetere l'esperienza di lavorare insieme lontano da Tokyo. Prima di partire per l'Italia, ho realizzato una versione breve dello spettacolo "Dots, lines, and the cube. A world and the others in the cube that shines" con solo loro tre in scena.

 
Lo spettacolo completo, invece, avrebbe avuto sei attori: insieme siete partiti per la prima rappresentazione all'estero nel maggio del 2013. Per gli autori della Zero Generation giapponese era abbastanza normale proseguire le loro attività oltreoceano. Per te com'è stato? Quest'esperienza che tipo di consapevolezza ti ha dato?


Ho chiamato la mia compagnia “Mum&Gypsy” proprio perchè volevo viaggiare. Ma mi sono sempre chiesto: “sto viaggiando davvero?”. Anche quando ho portato uno spettacolo fuori Tokyo, l'ho vissuto come un punto di passaggio, non come un viaggio. Così, quando è inziata questa tournée ho deciso che avrei viaggiato sul serio. Non come uno che viaggia per piacere, volevo pianificare tutto e immaginare cosa avrei visto una volta finito il viaggio. Non so perchè sia andata così... Penso che in passato avrei potuto fare spettacoli più semplici e viaggiare molto, guadagnare molto. Il perchè io non abbia fatto in quel modo, rimane un mistero. Alla fine, però, andando in giro a mostrare spettacoli facili non avrei fatto un vero viaggio. Di certo non avrei avuto indietro quello che ho avuto. 

 
Dopo Firenze nel maggio 2013, la tournée ti ha portato in Cile. In quel periodo, eri solito dire agli attori “io voglio essere ferito nel modo giusto”. Anche questo è un concetto che ti è diventato chiaro nel viaggio?

 
Esatto! Dopo tutto, quello che volevo era mostrare il mio lavoro a chi non sapeva nulla di me. Quando ho creato uno spettacolo a Kitakyushu o a Iwaki, sapevo che il mio lavoro era legato a questo o a quel luogo. Per “Dots” ho abbandonato questo sentimento. Mi sono chiesto quale sarebbe stata l'impressione su uno spettatore sconosciuto. Per la prima volta, ho sentito che quello era lo spettacolo giusto con cui andare in viaggio.

 
“Dots” ha debuttato nel 2013 e da allora ha continuato a essere replicato ogni anno. Nello stesso periodo hai creato “Cocoon”: un lavoro che ha preso la forma di un Manga (disegnato da Machiko Kyo) e di uno spettacolo. La tua fonte d'ispirazione è stata la Battaglia di Okinawa, un sanguinoso evento bellico di cui nel 2015 si è celebrato il settantasimo anniversario. Così, a due anni dal debutto, quello è stato l'anno di una grande tournée, in un momento politico movimentato per il Giappone.

 

Giusto. Non ho creato “Cocoon” in vista dell'anniversario della battaglia, ma bastava accendere la tivù durante la tournée per sentirne parlare. Anche se noi avessimo detto “noi abbiamo nulla a che fare con tutto questo” il pubblico avrebbe visto qualcos'altro. Non avevamo scelta, potevamo solo prendere atto della situazione. In ogni caso, trovavo bello che tanta gente volesse vedere lo spettacolo. Quando ero piccolo, i lavori sulla guerra mi facevano paura. Un lavoro come “Cocoon” devi volerlo vedere: essere fan di Mum&Gypsy non basta come motivazione, non si tratta d'intrattenimento. Vedevo gli spettatori venuti apposta, li riconoscevo tra gli altri; a volte si sono arrabbiati, a volte hanno pianto, in ogni caso penso che quella serata abbia significato qualcosa per loro, che non se la siano dimenticata. Era uno spettacolo che dipingeva la guerra. Ci sono opinioni contrastanti sui suoi contenuti, ma la gente l'ha visto, ne ha parlato: questo è importante. Viviamo un presente terrificante. Il mondo è sempre lo stesso.

 
Hai realizzato quello spettacolo e gli spettatori sono venuti a teatro per vederlo. Ti aspettavi di cambiare il mondo?

 

Anche se può suonare stupido, il teatro mi trasmette un'immagine di pace. Non ho immaginato lo spettacolo come un appello alla pace, ma le persone sono venute in quel luogo, per vedere insieme “Cocoon”. Dopo due anni, non so ancora definire quello spettacolo.

  

Finito con quello spettacolo, hai iniziato immediatamente “il mio tempo”. Puoi raccontare come ha preso forma questa creazione in Italia?

Al debutto di “Dots” nel 2013 a Firenze, avevo parlato ancora con Maurizia Settembri. Lei mi propose di creare una nuova produzione in Italia. Pensava di organizzare dei workshop nelle varie città toccate dal tour che stava progettando, in modo che potessi conoscere e valutare attori italiani, e così è andata. Nel 2014 ho visitato Meina, Pontedera, Ancona, Firenze e Messina, facendo un laboratorio in ogni città. Con le persone che ho conosciuto in quell'occasione ho creato “Il mio tempo”; ci conosciamo ormai da tanto...

 
Il lavoro si sviluppa dal 2013, allora?


Esatto. Già durante il tour ho conosciuto persone che avrei voluto coinvolgere. Persone della mia stessa generazione... Altre le ho incontrate nei Workshop. Nel 2015 abbiamo iniziato il lavoro vero e proprio.

È proprio così: “era la fine dell'estate” [una frase dello spettacolo] nel 2015, quando avete iniziato a lavorare a Pontedera, vicino Firenze.


Sì. In Pontedera c'è una sede del Teatro della Toscana, un teatro nazionale italiano. Abbiamo presentato “Dots” in uno dei suoi palchi, e ci siamo stabiliti nella sua foresteria.

 

Era la prima volta che ti trovavi a dirigere attori stranieri, giusto?

 

Sì. La cosa mi rendeva un po' nervoso. Al tempo, avevo appena finito il tour di “Cocoon” ed ero stanco. Non era tanto il fatto di trovarmi in Italia a preoccuparmi, ma un pensiero: “come posso ripartire a lavorare con qualcuno dopo questo spettacolo?”. Dopo aver affrontato un tema come quello dello guerra, mi preoccupava l'idea di tornare ai miei metodi precedenti. Questo mi rendeva ansioso... Quando sono arrivato in Italia, non dormivo la notte. Non parlavo né inglese né italiano, e non era tanto questo a preoccuparmi, ma l'idea stessa di parlare con le persone!

 

Un interprete ha accompagnato il lavoro di creazione: la difficoltà con l'inglese non era solo tua, giusto?

 

In qualche modo siamo riusciti a comunicare. Sarà che in questo spettacolo non c'è molto testo scritto da me. “Il mio tempo” – fino alle scene più dettagliate – si è sviluppato a partire dai contenuti portati dagli attori in una serie d'interviste. Ho chiesto loro cose semplici, tipo: “qual'è l'esperienza più dolorosa che hai vissuto?”. In questo caso, per esempio, sono venute fuori storie legate a incidenti in bicicletta; così è nata la scena della bicicletta. Altra cosa: abbiamo sperimentato un tempo comune, un “tempo italiano”. La lunga pausa pranzo, o le piccole pause caffè, senza il quale nessuno si sveglia... Abbiamo vissuto questi momenti insieme, cucinando, bevendo e mangiando, dedicandogli lo stesso tempo delle  prove. Da questo è nata l'impressione di riuscire a capirci.

 

Considerando le altre tue produzioni, questa modalità di creazione tramite interviste è un caso abbastanza unico. Un altro aneddoto legato a “il mio tempo”: hai fatto jogging e passeggiate insieme a tutti gli attori.

 

Ah, sì! [ride] Però ho smesso di correre quasi subito e ho continuato con le passeggiate... Ne ero entusiasta!

 

Dopo questa prima tappa, nel 2016 hai invitato gli attori italiani qui in Giappone, grazie al supporto del Saitama Arts Theater. Infine, nel settembre 2017, vi siete di nuovo incontrati a Saitama per riprendere il lavoro. Quando ho visto “il mio tempo” quest'anno mi è parso che qualcosa d'irripetibile fosse successo. Non voglio essere sentimentale, ma è esattamente quello che ho sentito. Cos'è successo?

 

Quando sviluppo un nuovo spettacolo, quello che dovrei fare è cercare di aumentare la qualità del mio lavoro. Ora, non è la stessa cosa che hai detto tu, ma ci si avvicina. Per esempio: in “il mio tempo” ho creato queste scene corali dove tutti ballano insieme, tutti guardano l'oceano... Non avevo mai fatto cose del genere nelle produzioni precedenti. Sono riuscite a farlo grazie a loro...

 

Nella scena del ballo, mentre Andrea parla al microfono, tutti gli altri danzano senza parlare. Nella scena dell'Oceano di parole ce ne sono, ma pochissime, e non sono riportate nei sottotitoli.

Quelle parole, comunque, sono scritte nel copione, io le conosco. Ma anche se non le conoscessi, guardando la scena ne potrei cogliere il senso. Neanche una scena di quelle che hai visto era stata pensata prima di conoscere gli attori. Ho notato che nuove nuance di senso si aggiungono, via via che continuamo a lavorare. Non è molto, forse, ma è quello che sento.

 

La ragione per cui ho sentito che questo lavoro è irripetibile è che tu hai creato qualcosa di unico a partire dalle persone che hai incontrato, mettendo a fuoco ognuna di loro. Nel corso dell'ultima fase di lavoro abbiamo passato un giorno insieme, facendo un barbecue, visitando Tsukiji e Asakusa [due quartieri di Tokyo]. Al contrario di quel che accadeva durante le prove, non c'era un interprete con noi. In qualche modo, abbiamo passato del tempo insieme, anche se nessuno ha imparato  la lingua dell'altro. Guardando queste persone ho pensato che tu non avevi altra scelta, dovevi creare qualcosa di originale.

Sono d'accordo. Quando siamo insieme, mi accorgo di parlare una lingua che non è Giapponese, né Inglese, né Italiano. Tracciamo delle linee parallele, viviamo in quelle linee. Quando questo progetto finirà, ci separeremo... Intanto, guardando questo gruppo, penso: “la linea è  necessaria?”. Stando insieme, trovo parole che non conoscevo. Comunque, all'inizio del progetto, ero privo di sentimenti per “il mio tempo”.

 

- All'inizio?

 

Nel 2015, quando abbiamo iniziato la produzione de “il mio tempo”, pensavo a come portare il mio lavoro oltreoceano, chiedendomi se quello sarebbe stato o no un vero viaggio... Mostrare qualcosa fatto in Giappone a persone di altri paesi, significa conoscerle? Con questi pensieri ho immaginato un modo di lavorare che potesse essere usato in paesi diversi, con attrici e attori locali.

 

Questo è quello che intendevi con “privo di sentimenti”. “Il mio tempo”, si potrebbe dire, è parte di un sistema. Si costruisce con le interviste e il tuo lavoro di editing.

Sì, con un sistema del genere, posso fare un tipo di viaggio che è diverso da una semplice tournée. Questa è l'idea con cui ho iniziato “il mio tempo”. Poi, lavorandoci, ho iniziato a sentire qualcosa. Conoscendo queste persone ho sentito che può esistere un tempo privo di confini, anche se viviamo in un mondo pieno di frontiere. Ho pensato questo di fronte alla scena del ballo. Tutt'oggi non so perchè io li abbia fatti ballare insieme così...

 

Te lo chiedi mentre ballano?

Esatto. Durante il monologo di Andrea, mentre ballano, penso: “perchè queste persone stanno ballando?” o anche, “io non so perchè, ma loro ballano e sembra che si stiano divertendo...”. Ci sono momenti o emozioni del genere negli altri spetatcoli di Mum&Gypsy?

Non molti. Soprattutto in sala prove: nessuno si diverte di fronte a Mr. Fujita! Se tu vedi che qualcuno divertirsi troppo, ti arrabbi e chiedi: “cosa c'è di divertente?”.

Esatto. È dato che lavorerò ancora su storie del genere, succederà anche nel futuro! [ride]

Comunque, la scena del ballo, con Andrea che dice “State ballando? Ma qual'è questo tempo?” è abbastanza impressionante. Come la scena dell'Oceano. Dopo che Ayumi ha scattato una foto al gruppo, è sempre Andrea a dire “Anche se scatti una foto, non puoi trattenere un ricordo” e “i ricordi rimangono solo nella mente, finché non svaniscono, alla fine”. È  impressionante questo doppio binario: sentire che un momento è irripetibile, sapere che finirà per perdersi nella memoria. Ma allora: che significato hanno i momenti di felicità?

Come dice Ayumi nelle sue battute, è ballando, cucinando, facendo foto, che ci sentiamo vivi... Può sembrare che lei si contraddica, ma siamo noi che viviamo in una contraddizione. Mentre balli, o cucini, o scatti una foto, esiste la possibilità che tu domani sia morto. Ultimamente penso molto a questa specie di fluttuazione. Ognuno di noi, ha un secondo livello di vita, che è quello della memoria. Quando la vita finisce, anche la memoria finisce, probabilmente. Nei miei primi lavori non affrontavo temi del genere volentieri... Gli attori italiani sperano di essere a casa, lunedì prossimo; quest'esperienza, il lavoro, svanirà piano piano. Anche il pubblico ha seguito questa storia con attenzione, eppure da domani tutto questo inizierà a sparire. Il teatro è un fenomeno che si consuma in quell'ora e mezzo. In questo il teatro e l'hotel dello spettacolo sono simili, sono luoghi dove vivi temporaneamente.

Una nuova caratteristica dello spettacolo di quest'anno è che il tempo dedicato ai lavoratori dell'albergo è aumentato. La versione dell'anno scorso raccontava il tempo degli ospiti, questa amplia il suo disegno, raccontando il tempo dei lavoratori.

 

Sono d'accordo. Il luogo dove io sviluppo il mio lavoro si chiama teatro. Ma cosa faccio? Aspetto il pubblico, lo accolgo. Posso pensare che di essere io a viaggiare, raggiungendo teatri diversi, in realtà è come se stessi fermo, aspettando di far entrare e uscire spetattori diversi. Certo: non lo faccio direttamente dal palco, perché sono uno scrittore. Lo fanno gli attori, che sono l'esito delle mie parole, per un'ora e mezza. Non amo la parola “intrattenimento” e non credo che si tratti di questo. È qualcosa di semplice: aprire le porte, accogliere il pubblico, salutarlo prima che esca. In questo senso, non è un caso che l'ambientazione di questo lavoro sia quella di un albergo, e che sempre di più io abbia dato spazio al racconto di chi lavora in albergo.

 

Un'altra differenza rispetto alla versione studio di “il mio tempo” è che le relazioni familiari sono diventate più sottili. Aya, la giovane sorellastra di Andrea, viene a far visita all'Hotel. Questo era già nel plot dell'anno scorso, ma adesso la distanza tra i due personaggi è aumentata. Anche se alla fine Aya parteciperà alla festa dell'albergo, la prima cosa che il fratello le dice è “Ma tu: perché sei venuta qui?”

 

Uhm. Penso che la ragione più grande di questa scelta sia la mia scarsa sopportazione della famiglia [ride].

 

Hai parlato spesso di famiglia nei tuoi lavori?


Quest'estate sono stato in tour con diversi spettacoli, tra questi ce n'era uno che riguardava la famiglia. È stato un grosso lavoro per me. Ma, una data dopo l'altra, è diventato meno personale. Ero partito dal ritratto della mia famiglia, poi ogni persona che ha visto lo spettacolo si è fatta un'idea diversa, forse migliore della mia, e alla fine non sapevo più di cosa stesse parlando. Ho iniziato a chiedermi “Cos'è la famiglia?” e a tenere a distanza la mia... [ride]. Ho iniziato a pensare che i legami importanti non siano quelli familiari. Ho sentito di avere un rapporto di familiarità più forte con questi attori italiani che coi miei parenti più prossimi.

 

Anche se non parlavate la stessa lingua?

 

Anche senza avere la stessa lingua, può esserci famiglia. La parola “famiglia” è un po' ambigua, puoi sempre avere persone più familiari della tua stessa famiglia. È una percezione diversa rispetto a quella degli amanti, ugualmente sono stato molto felice di poter passare ancora del tempo insieme, questo autunno.


A proposito di “il mio tempo”: c'è una scena di cui vorrei parlare, adesso. Verso la fine dello spettacolo, Giacomo dice “ Siamo sulla parte italiana del Lago Maggiore, è il tempo della prima guerra mondiale”. Lui e Camilla stanno provando a raggiungere la costa svizzera del lago, con una piccola barca. Hai aggiunto questa scena quest'anno, come omaggio a Hemingway.

 

Proprio così. La scena viene da “Addio alle armi” di Hemingway. La prima città che ho visitato per il mio workshop in Italia è stata Meina, sulle sponde del Lago Maggiore... Quando ho letto la parte del libro in cui il protagonista prova ad attraversare quello stesso lago, ho deciso d'includere qualcosa del genere in “il mio tempo”.

Per quale ragione?

 

Per tre anni, il ruolo di Giacomo all'interno dello spettacolo è stato abbastanza misterioso. Mi sono chiesto “perché ne sto faccendo un personaggio che viaggia incessantemente?”. Quest'estate, leggendo “Addio alle Armi”, a un certo punto è saltato fuori il Lago Maggiore; non sapevo che la parte settentrionale del lago fosse già in Svizzera. Parole come “confine” o “frontiera” escono continuamente dalle news, sommergendoci. Questa nuova scena è parte di una riflessione su questi temi. Gli attori italiani hanno la mia età e ogni tanto abbiamo discusso insieme di politica... Ho capito che l'idea di confine, per uno che nasce in Giappone, è diversa. Siamo un'isola, separata dal resto. L'Italia, invece, è connessa ad altri territori.

 

Questo la mette al centro di possibili rotte migratorie. In questo momento, ad esempio, ci sono rifugiati dalla Siria che attraversano il Mediterraneo.

 

Mi sono chiesto qual'è la differenza tra queste percezioni...

Dopo aver letto “Addio alle armi” e aver ripensato al Lago Maggiore, ho deciso di costruire questa scena.


Sono molto attratto dagli scrittori della “Lost Generation”. Questo non vuol dire che io ami i loro racconti, piuttosto m'interessa la loro ansia... Il loro essere “perduti” riguardava il senso di separazione rispetto alla tradizione, la loro distanza dai valori condivisi, la sfiducia nel sistema educativo del tempo. Sento che i personaggi di “il mio tempo” condividono questo sentimento. Un sentimento simile c'è anche nei tuoi lavori precedenti, e qui probabilmente l'hai sviluppato dopo aver parlato con gli attori italiani. Il caso di Camilla, per esempio, mi ha colpito molto. Lei è celiaca, quindi (salvo eccezioni) non può mangiare pane, pizza, pasta... Nello spettacolo, dice “Perchè mi sento straniera, anche se vivo nel mio paese?”.

Lei è allegrica al glutine... Immagino che in un paese come l'Italia ci siano un sacco di cose che non puoi mangiare se sei celicaco! Non ho scelto Camilla per questo suo vissuto, però ho cercato di trovare delle crepe nel suo mondo, come cerco di trovarne nel mio, sempre. Parlando della nuova versione dello spettacolo, penso che sia diventata più misteriosa e fuori dal mondo. I personagi dicono “dove sono, e quando? Mi sembra di non saperlo più” ed è proprio così. Nell'ultima scena si scopre un ascensore segreto che porta a un giardino sul tetto, dove vive una signora sulla sedia a rotelle... [ride]. Penso che questo alergo sia diventato un po' ai confini della realtà!

Questa è la parte che rimane più misteriosa. Nella versione studio, Andrea accompagnava Ayumi all'ultimo piano dell'hotel, per farle incontrare sua nonna. Adesso raggiunguno la terrazza sul tetto da un ascensore segreto, la cui porta è nascosta nei sotterranei. Non solo: anche se l'aspetto vecchio e fatiscente dell'albergo è enfatizzato continuamente, quest'ascensore funziona con un sistema di riconoscimento digitale che permette solo ad Ayumi di farlo funzionare. Questo significa che chi l'ha costruito deve aver raccolto le impronte di Ayumi in anticipo. Non voglio essere pedante, ma ci sono cose che non riesco a spiegarmi. Il senso delle battute e della scena è l'incontro tra Ayumi e sua nonna. Ugualmente, il pubblico si potrebbe chiedere come tutto questo sia possibile.

 

In questa parte ho deciso di fidarmi degli spettatori. Potrebbe essere un posto come il paradiso? O l'abbraccio di Ayumi con la nonna potrebbe avvenire solo nella sua immaginazione? Io ho la mia risposta, ma non ho l'abilità di fornire la spiegazione durante lo spettacolo. Per me, questa è una scena necessaria. Necessario è il sistema di riconoscimento digitale. In altre parole, non è uno spazio che chiunque può raggiungere. Era importante avere uno spazio raggiungibile da una sola persona.

 

E questa persona è Ayumi.

 

Esatto: qualcuno l'ha invitata e solo lei può raggiungere quel posto. Ho voluto disegnare un luogo limitato, personale. Da quando sono diventato trentenne, mi sembra, costruisco scenere del genere più spesso. Prima ero ossessionato dalla chiarezza e dalla necssità di dare spiegazioni sensate. Adesso riesco a scrivere anche quando penso “non lo so il perché, ma mi piace”. Insomma: il sistema di riconoscimento digitale mi piace un sacco!

C'è un altro aspetto della storia che hai sviluppato nell'ultima versione di “il mio tempo”. Il personaggio di Ayumi dice “Prima di venire qui, pensavo che sarei morta”. Nei tuoi testi spesso ci sono dei personaggi che affrontano la fine della vita; è la prima volta che affidi una parte del genere all'attrice Ayumi Narita. La cosa interessante è la sfumatura di questo passaggio: lei non dice che pensava di uccidersi, né che sapeva di dover morire per qualche ragione; “pensava di morire”. Penso che sia un punto importante.

 

Esattamente: non dice che avrebbe preferito morire, ma che pensava che sarebbe morta. Mi sembra di non aver parlato del senso di queste battute prima di oggi... Il senso è che il confine tra la vita e la morte è ambiguo. Posso pensare alla possibilità di essere morto, e un attimo dopo scoprirmi vivo. Basta pochissimo, per avanzare in una direzione o nell'altra. Quando è nel giardino sul tetto, Ayumi osserva l'apparizione di sua nonna e pensa che in qualche modo è sopravvisuta. Ma cosa accadrà l'indomani? Quella battuta “pensavo che sarei morta” vuole esprimere questa delicatezza. Questo è il motivo per cui l'ho scritta.

Mi sembra che sia un sentimento nuovo nel tuo lavoro... Allora, questo viaggio con “il mio tempo” andrà avanti?

 

L'anno prossimo presenterò lo spettacolo a Firenze. Io non sono il tipo che si appassiona ai luoghi in cui va per lavoro... Ma tornare a Firenze con questo spettacolo mi rende emotivo. È la prima città oltreoceano in cui ho presentato uno spettacolo. Probabilmente, gli spettatori mi avranno visto come “uno straniero piuttosto giovane”. Penso che questo lavoro mi darà la possibilità di cambiare la loro reazione. Sono davvero emozionato all'idea di farlo... Quindi, arrivederci a Firenze!

​翻訳協力:Andrea Falcone, Tomofumi Hashimoto, Yuki